※こちらは公募企画「第2期“書く将棋”新人王戦」に届いた36本の原稿のなかから「遠山雄亮賞」を受賞して入選したコラムです。おもしろいと思ったら文末の「と金ボタン」を押して投票してください!

遠山雄亮六段の推薦コメント:

令和の時代に加藤一二三九段を『ひふみん』ではなくプレイヤーとして「推す」ところに新鮮さを感じました。

そして、加藤九段が貫いた「無言」に見出した意味。名棋士が積み重ねてきたからこそ、「無言」に意味がある。

思わずグッときました。

意表をつく導入と合わせて、私のお気に入りの作品です。

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詰め将棋は双方向、私たちはそれに応えていくことができる

 詰め将棋は、棋士からのラブレターだと思う。

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 棋譜はそうはいかない。対局は棋士のお互いの真剣勝負。2人だけの世界での斬り合いであって、なんだかんだ言っても、ファンはその世界をそっと遠くからのぞき見させてもらっているにすぎない。

 だけど、詰め将棋は双方向だ。相手がこちらに向かって投げかけてくれる。頭の中身をオープンに見せてくれる。

 私たちは棋力はどうであれ、それに応えていくことができる。解けたときは、気持ちが通じ合ったようで、とても楽しくうれしい。

 そんな風に感じるようになったのは、ひふみん、加藤一二三先生の詰め将棋を解き始めた頃だった。ちょうど浦野真彦先生の3手詰めがすらすらと解けるようになったぐらい、だけど5手詰めを解くのは、じっくり考えないと難しいし、半分ぐらいは間違える、というタイミングでのことだ。

「ひふみん」の愛称で親しまれる加藤一二三九段 ©文藝春秋

 将棋にはなかなか勝てないし、解けない5手詰めを考えるのはちょっと気が重い。そんなときに本屋でマフラー姿のひふみんが微笑んでいる詰め将棋の本を見つけた。

 バラエティ番組で人気のひふみん、私が将棋をやっているという話をするとだいたいの人は、「ひふみん、面白いよね」という答えが返ってくる。名人になったことがある、神武以来の天才、と言われていて、将棋の実力もすごいんだよ、と答えてはいたものの、その実際のところはほとんど知らなかった。すごく強いんだろう、とはわかっていたけれど、ネクタイが長いとか、滝を止めたとか、チョコレートをものすごく食べる、なんてインパクトのありすぎるエピソードばかりで、正直、かなり変わっている……というイメージのほうが強かった。なんとなく、有名だからという興味本位で3手詰めの本を買って帰った。

「将棋を甘くみてもらっちゃ困る」という感じの詰め将棋

 解き始めてからびっくりした。おんなじ3手詰めなのに、そうとう歯ごたえがある。かなり個性的だったのだ。駒の配置がごちゃごちゃとしていて、パッと見ただけでは状況がよくわからない。たいていの場合は、盤面の右上に位置していることが多い王将の位置も、左にあったり、思いがけないところに予想もしなかった駒がいる。

 浦野先生の詰め将棋は、誰にでも「将棋ってこんなに面白いんだよ」「見て、これがきれいな道のりだよ」と優しく語りかけてくれるのに対して、ひふみんの詰め将棋は、「将棋を甘くみてもらっちゃ困る」という感じなのだ。

 他人なんて知らない。私は私の道を行く。

 詰め将棋の中にそんな姿勢が見える。迷路のように相手を惑わせて、自分の世界に引きずり込む。