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特集観る将棋、読む将棋

すべては「僥倖」に始まる 72歳の「観る将」が藤井聡太にハマったわけ

第2期“書く将棋”新人王戦――忘れられない推しの名言

2020/07/24

※こちらは公募企画「第2期“書く将棋”新人王戦」に届いた36本の原稿のなかから「白鳥士郎賞」を受賞して入選したコラムです。おもしろいと思ったら文末の「と金ボタン」を押して投票してください!

白鳥士郎さんの推薦コメント:

ものすごいラブレターが来てしまいました。72歳のおじいさんから17歳の少年へのラブレターです。まず、文体が若い。そしてやってることがいちいちかわいい。藤井七段とご家族にお送りしたい文章ですね!

読んでいて思わされたのが「こういうおじいちゃん、いま日本にいっぱいいるんじゃないかな?」ということでした。私にはまだピンときませんが「これ、わしじゃん!」と思う70代の方々が、たくさんいると思います。

そういう方々に届いて欲しいという気持ちも込めて、これを1位に選ばせていただきました。これからも積極的にこの気持ちを発信していっていただきたいです。

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昭和63年NHK杯の再放送で、時間が一気に何十年もさかのぼった

 新型コロナウィルスの影響で羽生五段(当時)と(故)大山名人 の昭和63年NHK杯3回戦の対局が5月24日に再放送されました。私も既に観ていたはずなのですが、すっかり当時の記憶を忘れてしまい手に汗握る熱戦を堪能しました。

 皆さんはお気づきになったでしょうか? 往年の将棋好きには馴染の仕草が図らずも大山名人に出たことを。終盤、形勢は大山名人に不利な状況でした。右手で相手の羽生さんの駒を取り、なんとそれを自分の左手に入れたんです。すぐそれに気づき素早く駒台に戻されましたが。

 昭和30年代初めに将棋を覚えた当時、折り畳みの将棋盤だけで駒台など勿論無かったので相手の駒を取って左手に握ってから自分の駒をその位置に動かすのが当たり前でした。

 大山名人の一瞬の仕草で時間が一気に何十年もさかのぼり、「お手は?」と叫んでいた子供の頃に戻りました。「お手は?」の掛け声は相手が握りしめている手駒を教えろということです。その都度、相手は握りしめた手のなかの駒を数え上げ「銀と桂馬、ひょこ(歩)二枚!」などと応えます。特に終盤になると持ち駒の数が多くなるので、お互いに犬を躾けてるかのごとく「お手は?」を何度も連発したものです。

大山康晴十五世名人 ©文藝春秋

 悪童同士の将棋ですから、マナーも何もありません。立て膝で畳や廊下に置いた将棋盤を睨みながら対局していました。そしてたくさん相手の駒を取った方は必ずこれ見よがしに両手の中に入れてそれをガチャ、ガチャ振りつつ「いい音っじゃなぁ!」と相手を馬鹿にする。

 それを聞かされた方は悔し紛れに「ほたえなぁ!(騒ぐな)」と怒鳴り返すんです。今でも対局前に記録係が振り駒をする度、あの駒音を想い出します。

典型的な「下手の横好き」、「観る将」専門の日々

 娯楽が少なかったせいか将棋盤と駒だけはどの家庭にもありました。それで男の子は将棋崩し、回り将棋、ハサミ将棋と遊んでから、本将棋の指し方を子供同士で教え合って覚えたものです。私は偶々中原十六世名人と同い歳ですが、当時の団塊世代の子供は似たような環境から将棋を始めたのではないでしょうか。将棋をスタートする出発点と時期は同じでも才能差は歴然としてますが……。

 将棋を始めてすぐ棒銀を見よう見まねで覚えて少年時代はひたすらそればかり指していました。あれから60年……。自慢じゃありませんが、今だに棒銀一筋、棋力は全く進歩がありません。私には恥ずかしながら将棋に対する信条があります。それは「一切の努力を放棄する。」で、日本国憲法における「戦争」と同じ位置づけです。それと「面白ければそれで良い。」です。

 従って七面倒くさい詰将棋を解くとか、定跡を覚えたり棋譜を並べるような真似をこれまで一度もしたことはありません。ひたすら実戦と観戦の繰り返し、勝った負けただけが好きです。典型的な「下手の横好き」。また会社を退職してからは昼休みの対局相手も居なくなって近頃はもっぱら「観る将」専門でした。