毎晩、寝る前に解くけれど、時には考えながら寝落ちしてしまったり、何度見ても同じような間違いを繰り返したりもした。思いがけない駒が効いてきて、素直に考えていると、うっかりパクッとこちらがやられてしまう。獰猛なのだ。
こんな配置よく考えつくなぁ、やっぱり天才ってほんとだ。
私レベルでもそう感じることができた。
加藤一二三というひとりの棋士としての存在が際立ってきた
詰め将棋の本を解き終わった頃、突然、それまで停滞ぎみだった将棋に、勝てるようになった。将棋を指すのがつらくて、まわりの人ばっかりがどんどん強くなっていって、自分ひとりが取り残されて、みじめだ。そんな風に思っていたのに、ちゃんと粘ったりできるようになった。相手の駒がどう守っているのかが見えてきた。
ひふみんってやっぱりすごい……。
突然、目の前に違う世界が見えてきた。
その時からバラエティのひふみんじゃなく、加藤一二三というひとりの棋士としての存在が際立ってきた。何と言っても、私にとっては大恩人だ。あの個性的なクセが強すぎる詰め将棋を解いたおかげで、将棋を指す楽しさが戻ってきた。
「私はここのところ若手棋士との対戦が増えています。健闘したいと思っています」。
その本の前書きにはこう書いてある。確かにその頃、加藤一二三先生はC級2組に位置していた。将棋界ではC級2組を振り出しに、C級1組と順番にあがっていき、トップのA級までクラスが分かれている。勢いのある若手に混じってベテランが指す。坂道を駆け上がる人もいれば、その逆の道を歩かざるを得ない人もいる……。
いつも饒舌だったひふみんの“無言”が伝えていたこと
その年の終わり、あの藤井聡太さんは四段としてデビューしたばかりで、最年少でプロになった記録は塗り替えられ、かつてその記録を持っていた加藤先生は、ひふみん、としてワイドショーなどにたくさん出ていた。将棋界自体がにわかに注目を集め、にぎやかで華やいだ空気が漂っていた。自身は引退の可能性がある、と言われている冬だった。
健闘したい、その言葉がずっと胸に残っていて、対局のたびに祈るような気持ちが湧き上がる。切実に、何よりも勝ちたいという思いがあるから、きっと私も強くしてくれたんだと思う。私もほんとはずっと勝ちたいと思っていたし、負けてしまう自分のことが本当に嫌いだった。自分を嫌いになりたくなくて、その代わりに指すことがどんどんと嫌になりそうだった。だけど、本当は将棋は楽しいものだ。とても拓かれた世界だし、奥深いし、すごく自由だ。あまりにものびのびとした、詰め将棋の問題たちが、それを教えてくれた。
ついに引退が決まってしまった、その夜。押し寄せるカメラの波を振り切って、黙ってタクシーに乗っていく映像がニュースで流れた。いつもはあんなに饒舌にしゃべっているのに、その日は何も言わなかった。無言であるということが、どんなに将棋が好きなのか、どれほどまでに勝利に焦がれていたのか、あまりにも切実に伝えていた。
私は、あれほどまでに強い言葉を知らない。