新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――著作『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)から一部を抜粋する。

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山口組へのコネクション作り

 もともといつかは大阪に出張ろう、と考えていた。暴力団は西日本に多い。その拠点を作るためである。実際、指定暴力団の本拠地をみると、東京より北に独立組織は存在しない。東北や北海道はテキ屋の非指定団体を除き、すべてが広域暴力団傘下だ。

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 飛田に部屋を借りる半年前には、試しに拠点を持ってみた。大阪市近郊の某所にある市営住宅で、いわゆる同和地区だ。

 大阪では取材の方法を180度変えた。

 暴力団の大半が山口組であり、取材が御法度だったため、組織の上から人脈を作っていくということが出来ないからだ。知り合った末端の組員を通じて徐々に上へと手を伸ばす。きっかけになるのはクレームである。

 山口組は取材を受け付けないが、勝手に書く分にはかまわない。とはいっても組織名を間違えたり、不都合な記述があるとすぐに電話がかかってくる。組織名と名前、携帯電話の番号を教えてくれた場合、間髪入れず現地に向かった。このとき少々演出めいたほうが効果的なので、夜通し高速道路を走って朝に到着することが多かった。

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「きちんと謝罪したいので会ってもらえますか。いますぐ近くにいます」

 門前払いされるときもあるが、会うだけなら大半が応じてくれた。あとは馬の合う人間をターゲットにして、友人として付き合いをはじめる。その後は出たとこ勝負である。二次団体の幹部である場合が多く、組織内の立場が高いほど警戒された。

これまでに培ってきた経験が大阪の暴力団には通用しない

「これは取材ではない。あくまで友人としての付き合いだ」

 とはいっても、暴力団への取材ルートを作ろうという魂胆があるのは見え見えだったろう。そのためコネクション作りは、意識の低い最末端からはじまった。これまで上げ膳据え膳だった取材スタイルが一変した。大阪の暴力団は、関東や地方都市で積み上げてきたヤクザ経験がまったく通用しなかった。