新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――著作『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)から一部を抜粋する。
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同和地区の団地に入居
同和地区の団地に潜り込めたのも、クレームをきっかけにした出会いからだった。山口組を絶縁になった組員の兄弟分が、その窮状を救うために一肌脱ぎ、自分の親分に頼み込んで団地の一室を用意したのだ。本来、この地域の人間しか入居する権利がないのに、暴力団の一声で部屋があてがわれた。私はそれに便乗した。
部屋は元山口組組員とシェアーだった。その元組員が、のちに歌舞伎町のヤクザマンションに押しかけてきた人間だ。
家賃と光熱費、合計1万5000円近くは、きっちり半分支払った。退去するときには礼金も渡した。親分を数回取材し、40万円程度の原稿料を稼いだからである。現金で渡すのもためらわれたので、質屋で買ったロレックスをプレゼントした。感謝の意ではあったが、同時に後腐れがないよう考えたからでもあった。
同和地区の団地は鉄筋コンクリートの4階建てで、ベランダに後付けのシャワールームが設置されていた。高校生まで風呂なし2DKの道営住宅で暮らしていたため、地元に戻ったような気持ちで、ほとんど違和感はなかった。北海道という同和問題がほとんどない地域で育ったためか、感覚がずれていたかもしれない。しかし、外部の人間がみても、説明がない限りここが同和地区であることなど分からないだろう。
団地での暮らしは快適だった。地区の飲食店で食った飯は安くてうまかった。湯船に浸かりたいときは銭湯に行く。料金は通常の半額以下である。
同和地区では暴力団と住民が共存している
驚いたのは、暴力団と住民の距離が圧倒的に近いことだ。町内会の事務所にしょっちゅう顔を出し、会議に出席するばかりか、バザーや旅行などの行事にも積極的に参加する。というより、実質的な仕切りを暴力団がしていた。彼らは住民の代表なのだ。さすがにいまはもうないだろうが、祭りの際、山口組の代紋が入った法被を着ている5歳くらいの女の子がいた。そんな子供が御輿を担いでいるのに、誰もそれを気にしない。
団地に住むある幹部は毎月1度、自分を中心とした懇親会を開いていた。会を仕切るのは小学校からの同級生で地元の土建業社長だった。これに昔からつるんでいた仲のいい後輩たちが加わる。後輩たちもまた、多くの職人を使う土木建築業の会社を持っている。