グローバル社会の天皇像 「国民」ではなく「人々」
そして昨年、即位して初めての戦没者追悼式に臨んだ徳仁天皇は、平成の天皇がそれまでそこで繰り返した「深い反省」という文言を組み込むなど、その「おことば」の内容・形式を踏襲した。それは、国民との関係性を重視しつつ、日本国憲法を理想化し、慰霊の旅に代表される平和主義に徹した平成の天皇の姿勢への評価、そしてそれを引き継いでいく意思を示したものと思われる。
一方で、変化もあった。平成の天皇は「深い反省とともに」と述べていたのに対し、徳仁天皇は「深い反省の上に立って」と述べた。これまでの平成の天皇の「深い反省」という経験を踏まえ、自身はその歴史の延長線上に、戦争の記憶の踏襲をしていくことを提起したとも言える。
また、平成の天皇が「国民のたゆみない努力」によって戦後の平和が保たれたと述べていたところを、「人々のたゆみない努力」と言い換えた。それは、日本国籍を有する人々だけではない、日本に住む(もしくは世界中の)あらゆる人々の努力によって成し遂げられてきたことを評価する思いがあらわれた表現ではないだろうか。グローバル化する社会にあって、海外での生活経験もある徳仁天皇の新しい天皇像、戦争の記憶の継承の仕方を示した「おことば」とも言える。
新型コロナウイルスの流行がなければ、今年の「おことば」は平成の天皇のあり方をどう継承していくのか、どう文言や形式を踏襲し、自分なりに変化させていくのかが問われたと思われる。もちろん、それは今でもかわらない。しかし、新型コロナウイルスが流行しているなかにあって、天皇・皇后が外出することは彼らが感染する可能性もあり、また密になる可能性もある以上、それがなかなかできない状況は今後も続くと思われる。そうすると、平成の天皇・皇后が繰り返した慰霊の旅も、外出することが困難な以上、物理的にそのまま継承するのは難しい。このコロナの時代、戦争の記憶を継承する新しい何らかのあり方が考え出されなくてはならないのである。
75年目の今年、広島や長崎を訪問できていない
今年2月の誕生日の記者会見で、「75年の節目、若しくは近い将来に広島、長崎の被爆地を御訪問されるお考えはありますか」と記者から問われた天皇は、「やはり世界の平和というものを心から望む立場として、今後とも、広島、そして長崎についても心を寄せていきたいと思っておりますし、また、広島、長崎を訪れる機会があればと思っております」と答えた。しかし、75年目の今年はまだ訪問できていない。それをできる日が近く来るだろうか。