そこで一旦駅前を通り過ぎて国道をしばらく歩く。すると、国道沿いに、2階が住宅で1階が店舗になっているような昔ながらの商店がいくつか並んでいる。ほとんどの店がシャッターを下ろしているが今でも開けている小さな定食屋があって、「いまでも時々行きますよ、ここ」と懸田区長。「メシを食うならここだけって店がどこかにあったんだけどな」と件の広報氏。まあ、いずれにしても鉄道の町として栄えてた頃には行列のできる店だったのだろうか。
「糸崎駅」のフォントがたまらない
「糸崎機関区が縮小してからは、鉄道というよりは三菱重工の町になったんでしょうね。働く人たちがこのへんで暮らして、こういう店にも行っていた。三菱の病院もあるみたいですし、鉄道の町というのはもうだいぶ昔のことでしょう(笑)」
懸田区長はそう笑う。が、やはり往年の鉄道の町としての誇りは残っているようだ。最後になってやってきた糸崎駅の駅舎。1945年に建てられたという木造駅舎は、金太郎飴のように同じ見た目のイマドキの駅舎とは明らかに違う。駅名標も独特なフォントで「糸崎駅」と大書され、「JR」の文字は見当たらない。小さいけれど立派な設えであった。傍らには鉄道施設として実は今も使われているという古い木造の建屋もあるし、荷物などをホームから出し入れする際に使っていたと思しきスペースも。
「今年3月から改札口は無人になったんですけどね。いくら鉄道の町といっても、隣の三原駅と比べると利用者数は10分の1くらい。でも、古い駅舎がこうして残っていて、機関区も形を変えながらも使い続けているところは歴史のある駅という感じですね」
ちなみに、山陽本線の岡山と広島の県境、実は糸崎よりはるか東の笠岡~大門間。福山も尾道も、もちろん三原も広島県にある。いわゆる尾三地域、旧備後国に含まれる。糸崎駅で運転系統は分断されているとは言え、三原と尾道が人の往来が少ないわけではないようだ。もしも糸崎駅で乗り換えを強いられないならば、その存在を意識するようなことなどなく通り過ぎるまったく小さな駅なのかもしれない。そこに、鉄道の町として栄えた歴史があった。なんとも興味深い、終着駅の旅である。ただ、やっぱり乗り通すことができたらもっといいのになあ……それも広島の新エース、227系で。
※現地取材は3月に行いました。
写真=鼠入昌史
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