文春オンライン

「ここ見て見て、きれいでしょ」岡江久美子さんが“人気絶頂でヌード”を決めた理由――2020上半期BEST5

note

 そもそも、人気絶頂だった岡江さんの写真集は、どのような経緯で刊行されたのだろうか。カメラマンの岡田氏が当時を回想する。

マイク岡田氏撮影の岡江久美子さん写真集

「当時、講談社が『スコラ』という雑誌を創刊することが決まっていて、その目玉として写真集を刊行しようという企画があった。僕はそのとき、週刊ポストのグラビア班に10年間在籍した後、独立してカメラマンになったばかり。新人カメラマンとして、講談社に久美ちゃんのヌード写真集の企画を持ち込んだんです。倍率は相当高かったと思うけど、すぐに企画が通りました。

 その後、付き合いのあった久美ちゃんの事務所に話を通した。彼女の方も『自分の殻を破りたい』と思っていた時期でOKが出た。事前に『ヌード撮影の同意』という契約も交わしましたね」

ADVERTISEMENT

「スコラ」は1982年に創刊された男性向け情報誌で、創刊号(4月22日号)では岡江さんがヌードのグラビアを飾っている。ヌード撮影を決めた理由について、岡江さんは写真集に収録されたエッセイで、次のように語っている。

新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった岡江久美子さん ©文藝春秋

〈タイミング……そう、どうしてこのお仕事をやってみる気持ちになったのかときかれたら、こう答えるしかできそうにもないのよね。今を逃したら一生、こんな気持ちにはならないってわかっているから……〉

結婚直前の写真集だった

 エッセイでは、撮影前の揺れ動く心境についても綴っている。

〈カメラの前に立ったら演技なんかするのはやめよう。ありのままの自分を撮ってもらおう。24才になったひとりの女のさまざまな表情を、できる限りフィルムに定着させてもらいたい〉
 

デビュー当時の岡江久美子さん(1975年) ©共同通信社

 しかし、それまで水着のグラビアも経験したことがなかった岡江さんは戸惑いを隠せなかった。実際に撮影が始まると、岡田氏は「脱ぎやすい環境」を作ることを心掛けたという。

「ヌードの撮影にハワイを選んだのは、開放的になる場所だから。撮影の時も『脱いで』とは直接的に言わず、『パンツが邪魔だよ』などと少しずつ伝えていた。最初は恥ずかしいと顔に書いてありました。それでもシャッターを押し続けていると、もう脱ぐ以外ないという感じになり、最後はもう吹っ切れたように『わかりました』とパッと脱いでいた。どうにでもなれ、という感じでしたね」