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映画は“富山市議会のドン”に言いくるめられるシーンから

――すると次から次へとおかしな支出が出てくる。この地道なスクープを取材班は達成するわけですが、映画は砂沢さんが“富山市議会のドン”中川勇議員に言いくるめられるシーンから始まりますよね。

五百旗頭 あれ、砂沢が隠し持っていた映像なんです。

砂沢 いや、隠してないけど(笑)。ただ、本当に映っている通りで、「いやー、議員はお金がかかるから大変なんだよ。報酬が引き上がるのも仕方ないのかも」って五百旗頭に報告したら、「いやいや、違うやろ」って言われて。

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五百旗頭 そう。「そんなわけあるかよ」ってところから取材が始まっているんです。

――お二人にとってそれぞれ、外せないシーンってどこでしたか?

五百旗頭 まず冒頭の砂沢が言いくるめられるシーン。ここは絶対でした。それから普段のニュースでは使いづらい映像は全て出そうと思いました。つまり、市議や市長が記者から質問を受けているときの表情とか、答えるときの間の取り方とか、上目遣いになる瞬間とか。ナレーションで「彼はここで嘘をついた」と入れなくたって、映像の積み重ねで提示できる。それを重視しました。

不正を認め、深々と頭を下げる“富山市議会のドン”中川勇氏

砂沢 辞職ドミノになってきて、僕らチューリップテレビだけじゃなく富山県内のメディアも総力取材体制になりました。そんな中で、それでも僕らにしか撮れなかったものがたくさんあるんです。それは外したくなかったですね。例えば不正について直接話を聞きに行く場面もそうですし、新議長になった若手の舎川さんが、長老格の五本さんのところにわざわざ挨拶しにくるシーンとか。

――議会の日常というか、タテ社会が生々しく出てました。

五百旗頭 いろんな議員の性格や生態が映されていると思うんですが、そういう年齢もタイプもバラバラな議員に対して、砂沢が淡々と質問して食い下がるシーンは一番大事にしました。記者と政治家が対峙したときに出てくる空気感というか。

五本幸正氏に取材する五百旗頭さん、砂沢さん

チューリップテレビは富山最後発のテレビ局

――そうしたジャーナリスティックな空気感って、権力と対峙する怒りだったり、「正義とは」みたいな大上段に構えたものになりがちかなと思うんです。でも『はりぼて』は音楽を含めコメディっぽくて、怒りとは違う気がしました。

五百旗頭 怒りは意識していないですね。怒りから出発してしまうと、ジャーナリズムって結局「これだけのことをやったんだぜ」みたいな、自分の手柄を誇示するところに行き着いてしまう感じがしているんです。そもそもチューリップテレビは富山最後発のテレビ局で、「マスコミは第4の権力だ」なんてこと、みじんも感じたことがないような弱い立場だった。だからこそ、不正した議員たちのことも悪人というより、人間臭い憎めない人たちの側面をきっちり出そうと考えましたし、僕らだって弱いってこともさらけ出したつもりです。

砂沢 僕は怒りというよりも、ひたすら好奇心です。取材当初は怖かったんですよ、調べていることがバレて報復されるんじゃないかとか。ところが、辞任するのが2人、3人と続いていくと、もう怖いというよりも好奇心の方が強くなってきて。領収書や伝票をめくっていると小さな疑問が山のように積み重なっていくんですね。こうなってくると「おかしいだろ!」を超えて、一つ一つ議員に当てて、答え合わせしていくみたいな感覚でした。