新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――著作『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)から一部を抜粋する。
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「完全に同化してますねぇ」
暴力団との距離のとり方はことほどさように難しい。
〈ヤクザっぽくならないように……〉
私はいつもそう意識している。外見も内面も、彼らと同化してはまずい。マル暴の刑事が本物以上にヤクザっぽい雰囲気を纏っているように、ヤクザ記者がヤクザのような風貌になってはシャレにならない。
同業者にはヤクザっぽい人が多いように感じる。外見はそうでなくても、話し方が尊大になったりする。暴力という力を持ったヤクザと付き合っているうち、自分が強くなったような錯覚に陥るのだろう。最初は真面目そうだった編集者が、アウトロー雑誌を作っているうち、段々とそれっぽくなってきた実例はたくさんある。
常に意識していても、人から「それっぽい」と言われてしまうときもある。
北九州市の女子大学の教授を取材したときのことだ。この人は広島出身のプロボクサーが、肉親が所属していた暴力団抗争に巻き込まれていく様を丹念に調べて出版していた。その人物を暴力団側から再検証しようと考え、取材先の紹介と写真提供をお願いしていたのだ。大学という場所を考え、きちんとした格好で行こうと考えた。池袋の西武デパートでヨウジヤマモトの黒いスーツをローンで買った。暴力団相手に黒は避けているが、一般人になら問題ないと思った。
教授は冷淡だった。
「ヤクザばっかり取材している人はそれっぽいねぇ。黒いスーツなんてヤクザそのものだよ」
教授の見解程度なら、笑ってすますこともできる。黒いスーツ=暴力団だなんて、乱暴すぎだ。しかし、当の暴力団から指摘されると完全に意気消沈する。先日、ある親分の運転手から、「完全に同化してますねぇ。いつかヤクザと間違えられて撃たれますよ」と言われた。彼らにとっては仲間意識と友好関係を示した親愛の情かもしれないが落ち込む。自分では気づかぬうちに調子に乗っているのかもしれない。そんな部分があるならもっと強く意識しなくてはならない。
暴力団と付き合うことで死生観が狂っていく
感覚が麻痺してしまった部分はあるだろう。たくさんの暴力団が集まっている義理場で、写真を撮るため、ためらいなく前に出られるのも、頭のどこかが麻痺したせいだ。
「ここだけの話……」
と、日常的に犯罪行為の話を聞いているので、たとえば殺人事件に対する感覚も、一般的ではないはずである。私の携帯電話には17人、抗争で殺された暴力団員の電話番号がメモリーされている。自殺した人間を含めると、その数は3倍近くに跳ね上がる。たとえわずかな回数しか話していなくても、あくまで取材の相手でも、たたずまいを記憶している人間が殺されるという事態は、否応なく私の死生観を狂わせる。