暴力団は斜陽産業
最近では暴力団の意識も変化してきた。大阪の末端組員たちのように、我々が自分たちをネタにして金を稼いでいると分かり、様々な要求をしてくるのだ。インタビューなら事前に原稿をチェックされても仕方ない。が、他団体の原稿まで検閲したいと言ってくる。
当然断るが、そのとき暴力団は「今後出入り禁止にする」と圧力をかけてくる。組織名を一切使うな、と要求してくる組織もある。福岡県警がコンビニエンスストアに、要請という形で暴力団雑誌の撤去を行ったのと同様に、恐喝のプロだけあって、一切、恫喝めいた言葉はない。ホテルなどに呼ばれるときも、部屋を閉め切らず、強要にならないよう細心の注意を払っている。
こうした要望は暴力団の取材許可で成り立っている雑誌にとって、強制に近い意味を持つ。いつだったか、溝口敦が「取材拒否になっても他の分野がある」と書いていたが、暴力団のみに依存していては、この要求を呑むしかない。専門分野に特化した分、取材対象との関係を良好に保っていなくてはならないという負い目がある。今のところ、私個人は「実話誌にはそういった圧力をかけられても、一般誌には同じことを言わないはずだ。そこからの依頼なら書きます」と突っぱねてはいるが、現実には暴力団専門誌がなくなった時点で私の生活は破綻する。
「知っていること」と「書けること」の相克
また同じ組織に10年も出入りしていれば、否が応でも深刻な内部対立が分かってしまう。実際は友好的な儀式であっても、当事者たちは私がそれを書かないと信じているから、ぶっちゃけた内容を話す。深層を知った上で、上っ面だけの記事を書くのは精神的に大きなストレスとなる。関東の某団体は、親分と決定的に反目しているが、取材の際は「一枚岩の団結」と書かねばならない。
今後の身の振り方を考えていたところ、最近、考えさせられる事件が立て続けに起きた。一つは外国人記者が、暴力団のスキャンダルを暴いたときだ。
彼はパイプ役となったネタ元や、当事者団体から、私が何度も言われたように「殺す」という恫喝を受けていた。その対策として彼は警察に相談して、身辺警備をしてもらったり、高額な日当を払ってボディガードを雇った。外国人は暴力団に過剰な幻想を持っている。これまでの自身の経験からすれば、それは単なる脅しで、真に受ける必要はまったくない。