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三浦さんが考えていた俳優としての使命や責務

 浜へ引き上げてくれた修に「怖いよ。でも……俺だけ死なんわけにはいかん」と泣きじゃくりながら話す裕之。

 幼い頃から自分より明朗活発であったはずの弟が抱えていた“もの”に触れて戸惑う修だが、観ているこちらも彼と同様に戸惑った。

©文藝春秋

《俳優って、“人が優れる”とも書くというところから、優れた人がなるように言われることが多いように思います。でも、僕は本当にそうなのかなと思っていて。》

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《昔から「いい人でいなければ」と必要以上に思い込んでいたかもしれません。「俳優というのは人として優れている人がやるものだ」「だってそうやって書くじゃないか」という言葉は、素敵な喩えだと思いながらも、「優れているって何?」と自問自答してきました。》

 それと同時に、今年、誕生日の4月5日に発売された著書『日本製』掲載のインタビューがフラッシュバックした。三浦さんが、自身の葛藤を率直に語っている。

 続けて、《「戦争はむごいことなんだ」とか「人間が人間を差別することはいけないんだ」ということを教えたり、伝えることが出来るって。それを聞いた時になるほどと思ったし、俳優はその人物……例えば歴史上誤ったことをしてしまった人物であっても、その人を演じることで、過去の過ちを繰り返させないように人々に思わせることが出来る》という言葉からは、三浦さんが考えていた俳優としての使命や責務みたいなものを感じるし、だからこそ「どうして、こんなことになったのか?」という大きな戸惑いと深い悲しみ、こればかりはどうしようもないが彼の演技を観ているだけだったという途方もない無力感に襲われる。

「そやな。いっぱい未来の話しよう!」

『太陽の子』の劇中、最も個人的に打たれたのは、修、裕之、世津が未来を語る前述のシーンだった。

©getty

 一時帰宅の終了前夜、縁側で酒を酌み交わしながら「兄貴、元気でな」「お前もな」としばしの間になるであろう別れを惜しむ修と裕之。そこへ世津が現れ、日本の今後のためにも叶えたい夢があると語り、そのためにも修には学問に打ち込み、裕之には怪我をするなと兄弟の手を取ってハッパをかける。世津の言葉を受けた裕之は「そやな。いっぱい未来の話しよう!」と答えるが、その表情は穏やかなようにも思えるし、やはりどこか寂しげにも見える。