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核ミサイル発射のシステムはなぜ複雑なのか……「管理しやすい単純さ」を目指す“効率至上主義”の危うさ

『新装版 思考の技術』(中公新書ラクレ)

2020/08/24
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効率化を重視した単純システムの危うさ

 政治の面では、効率至上主義の単純システムへの指向が、中央集権的統治機構となってあらわれている。経済、社会のあらゆる面で、管理しやすい単純システムへの指向が見られる。

 それがすべて誤りだったというのではない。しかし、効率と管理のしやすさを得るために、システムの安定性が犠牲にされているのだということを忘れてはいけない。そして、安定性の犠牲にも限界があり、効率の追求もその限界内にとどめなければならない。

 政治の面でいえば、きわめて能率が悪い代わりに、絶対的に安定しているのは、アナーキーな社会である。アナーキーな社会では、政変の起こりようがない。その対極にあるのが独裁制である。独裁制は、単なる宮廷革命によってくつがえすことができる。

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 チャネルが少ない単純システムは、それがうまく働いている場合はいいが、どこかに狂いが生じてくると、故障したチャネルの機能を他のチャネルがすぐに引き継いでくれないので、システム全体が破壊されてしまう。ファシズムは国家全体を狂気にまきこみ、全体主義という単純システムを作りあげる。そしてその全国家的単一システムが倒れるときには、社会全体がまきこまれて破滅の危機に瀕することになる。これに対して、チャネルが多いシステムでは、一本や二本のチャネルがおかしくなっても、システム全体はびくともしない。

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効率とスピードを落としても安全性を重視して作っていくべき

 親会社を一つにしぼっている下請工場と、数社と取引きしている下請工場とでは、その親会社がうまくいっている間は、前者のほうがうまい商売をできるかもしれない。しかし、不況で親会社が苦しくなれば、そのしわ寄せをもろに受けることになる。同じことが、あらゆる企業の取引先、取引銀行などについてもいえる。健全な経済人は本能的に安定性確保の必要性を知っているから、複数のチャネルを持つようにしている。

 企業のレベルでは常識であることが、国家のレベルでは行われていない。たとえば、日本の金外貨保有はドル一辺倒で、アメリカ経済と一蓮托生の関係にある。

 核ミサイル発射のシステムは、偶発戦争を避けるために、スピード第一よりは、安全第一のために、わざと効率を悪くしている。それは、ミサイルによる偶発戦争が、人類滅亡を意味するという危機の認識が正しくなされているからであろう。

※イメージです ©iStock.com

 しかし、よく目を開いてみれば、同じような危機はほかにもある。たとえば、農作物の収穫効率をあげるために、生物社会を農薬によって一元化しようとすることによってもたらされる危機も同様に重大なのである。公害のほとんどすべては、効率至上主義から起きている。

 これから文明のたどるべき方向は、より複雑で、より多様なシステムを、効率とスピードを落としても安全性を重視して作っていく方向にあるのではないだろうか。

 自然にとっては、人間も生物システムの一つのチャネルにすぎない。人間が自滅しても自然は困らない。自然のシステムには、いつでもそれにとって代わるべきチャネルが用意されているからである。人間は自然なしではやっていけないが、自然は人間なしでやっていけるのである。