ーーなるほど、「モテ」と「女同士の絆」が「かわいい」によって両立できるようになる。
高橋 もっと言えば、赤文字系ファッション誌界では「モテ」は本来タブーだったんですよ。赤文字系は「お嬢さま」「上品」を掲げるので、ちょっとガツガツした印象をもたらす「モテ」とは対立する。
『CanCam』は、そこを「『モテたい』は『かわいい存在になりたい』という意味だ」という独自の論理で乗り越えた。それが支持されて、業界一番手だった『JJ』を追い越す“モンスター雑誌”に成長しました。
振り返れば、「めちゃ❤モテ」ブームとは、『JJ』文化が作り上げてきた女らしさの価値観を、『CanCam』が壊した、という構図でもあったんです。
『JJ』は、「上品で育ちがよさそうで、恋愛においては受け身なのに男性から言い寄られまくっている女の子というのが最も価値がある」という女の序列を作ってきたのですが、『Can Cam』は、それをぶち壊した。「女がモテたいと言って何が悪い!」というわけですね。
「エビちゃんシアター」が「ポストフェミニズム」である理由
ーーご著書では、「めちゃ❤モテ」ブームやこの「エビちゃんシアター」を、「ポストフェミニズム」という言葉を通しても論じています。「ポストフェミニズム」とはなんでしょう。
高橋 簡単に言えば、「フェミニズムはもういらない」という立場のことです。
時代的な背景を説明すると、日本では2000年代に「フェミニズムっておかしいよね、いきすぎだよね」というフェミニズムに対する社会全体の批判的な態度が登場しました。専門用語では「バックラッシュ」と言うんですけど。
バックラッシュの時期を経て、「フェミニズムはダサい」「フェミニストは実力や性的魅力で勝負できない、“負け組”の女たちだ」という風潮が強まって、若い女性の間でも広がった。これが「ポストフェミニズム」です。
日本では、このポストフェミニズム現象の時代が「めちゃ❤モテ」ブームの時代に重なります。
ーー「ポストフェミニズム」は、「バックラッシュ」とはまた違うのですか。
高橋 ポストフェミニストは、男女平等は望ましいと考えているんです。その上で、「男女平等はすでに達成されている」と考えている。その点、男女平等を支持しなかったり、男性のほうが不利益を被っていると主張するバックラッシュと異なります。
「エビちゃんシアター」も「女は『かわいい』がわかる」「男には『かわいい』がわからない」と新たな「女らしさ」「男らしさ」を作り上げている面はありますが、むやみに性別役割分業を肯定しているわけではない。
たとえば、ユリがプロポーズしてきた男性に退職届を出すよう促され、不満を表す場面があります。仕事をやめてもいいとは思っていても、続けるかやめるかは自分が決める、という自己決定が重視されているんですね。