今観ると嫉妬心は消え、純粋に憧れてしまう
ここでストーリーをざっとおさらいしておこう。
かつてはオリンピック出場を期待された水泳選手だったものの、その後はちゃらんぽらんなヒモ男になってカノジョに捨てられてしまった広海(反町)。
一流商社マンだったが自身で立ち上げたプロジェクトでミスを犯し、出世コースから外れてしまった海都(竹野内)。
楽天家でお調子者のプータローとクールで理知的なエリート。本来なら出会うはずのない水と油のような男二人が、千葉の海沿いに建つ民宿「ダイヤモンド・ヘッド」を訪れ、住み込みで働くことに。「ダイヤモンド・ヘッド」を営む勝(マイク眞木)、その孫・真琴(広末涼子)、近所のスナックの店主である春子(稲森いずみ)といった主要キャラを交え、広海と海都の一夏が描かれていく。
さて、そんな『ビーチボーイズ』を23年ぶりに観直した感想は、
「これって全12話使った反町と竹野内の壮大なPV(プロモーションビデオ)じゃん」
である。こう言うと揶揄しているように聞こえるだろうが、そうではない。
中年となった今観ると、かつてのような反町・竹野内への嫉妬心は削ぎ落ちており、純粋に憧れてしまう自分がいた。けれど、それは反町・竹野内へ向かった羨望というよりも、彼らが演じた広海と海都が共に過ごした一夏への羨望という感じ。
1話ラスト、広末演じる真琴のナレーションで、「夏のある国に生まれて、私は幸せだと思う。だって、夏には夏だけの時間の進み方があるような気がするから」というセリフがある。この「夏だけの時間の進み方」というフレーズは秀逸で、まさにそのとおりと膝を打ってしまう。
「生まれて初めてのバカ…がしてみたくなったの」
ネタバレになるが、最終話で広海と海都は “俺の海”(自分の居場所、自分のやりたいことみたいな意味)を探すため、「ダイヤモンド・ヘッド」を去っていく。“1997年の夏の海”という限られた時間と切り取られた場所は、限定的な非日常空間のように描かれており、彼らが過ごした短くて長い夏は、中年男のセンチメンタリズムを無性に掻き立てるのである。
海都が3話で一旦東京に帰るものの、会社を辞め、エリート商社マンの肩書を捨てて、「生まれて初めてのバカ…がしてみたくなったの」と、再び「ダイヤモンド・ヘッド」に戻ってくるシーン。ここもなんとも琴線に触れる。
筆者と同世代の社会人なら10年、20年と同じ会社、同じ業界にい続けると、仕事を全部放り出して縁もゆかりもない地でゼロからスタートすることは、現実的にかなり難しいはず。でもだからこそ、一度はそういう経験をしてみたかったと感傷的になる人、多いんじゃないだろうか。