アニメ映画で言えばこうだ。その作品は数多のアニメーターが描く画によって出来ている。その画にこそ価値があるはずだが、アニメーターは広く知られるように低賃金の職種である。
一方で、実際にアニメをつくるひとたちの上層や周辺には多くのひとたちがいて、もちろん資金集めなどの重要な仕事をする者もいるが、なかには「クソどうでもいい仕事」をする者もいる。たとえば社内資料としてパワポで○や□を組み合わせて図を作るなどがそうだ。それでいてアニメーターに比べれば、高給かつ高待遇である。
はたしてアニメの画よりもパワポの図のほうが、価値があるのだろうか。
「ブルシット・ジョブ」=クソどうでもいい仕事
この種の倒錯は様々な業界、会社で起きていよう。「実質のある仕事」をする者が低賃金で、見せかけの仕事をしている「寄生者(パラサイト)」が高給をもらう。あるいは内部統制の名のもとに稟議書などの「クソどうでもいい」ことが増幅していく。こうした現代の不条理を考察したのが『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)だ。
著者のデヴィッド・グレーバーは、米国の文化人類学者で2013年、雑誌に「ブルシット・ジョブ」(=クソどうでもいい仕事)についての小論を寄せる。するとすぐさま人気記事となり、それどころか著者のもとに読者から「実は私の仕事もブルシット・ジョブでして」との告白が次々と寄せられるほどの反響を呼ぶのだった。そんなこともあって、グレーバーは2018年、この問題を広汎に且つ深く洞察した本書を著す。日本では今年7月には翻訳書が出版され、さっそく評判となっている。
「書類屋」によって無意味な仕事が増え続けていった
「ブルシット・ジョブ」とは、本人でさえ無意味で不必要だと思っている職務のこと。見栄えのいい資料をつくるためだけの仕事であったり、管理する必要のないものを管理する仕事であったり、あるいは無意味なレポートを書かせてはそれを読む中間管理職であったりだ。
かつて経済学の大家・ケインズは、技術の発達によって週15時間労働が達成されるだろうと予言した。ところがPCの普及やIT革命などおかまいなしに、まったくもって反対の事態になっている。要因のひとつに、企業などの組織では「書類屋」によって管理部門は膨張し続け、無意味な仕事が増え続けていったことがある。
本書には、大学が学費をあげていくと教員以上に事務員が増大していったというデータや、生み出した収益を製造に従事する者に還元せずに中間管理職を増やしてそれを食い潰していった企業の逸話が事例として記されている。