日本でも今なお感染拡大が続く「新型コロナウイルス」。未曽有の危機の始まりは、中国湖北省武漢で発生した感染爆発だった。中国政府は1月23日、突如として武漢のロックダウンを発表。それを受け、日本政府は1月末以降、武漢に計5便のチャーター機を飛ばし、828名の湖北省在住邦人とその家族の帰国を実現させた。

 史上初となる感染症に伴うチャーター機派遣。この前代未聞の救出劇を現地で指揮したのが、駐中国特命全権公使だった植野篤志氏(現・外務省国際協力局長)である。第1便から第4便までの運航を支援する「現地チーム(通称:Aチーム)」の責任者を務めた植野氏が今回、「文藝春秋」9月号に、15日間にわたる「武漢オペレーション」の全貌を綴った手記「武漢『邦人救出』15日間全記録」を寄せた。

武漢到着早々の在留邦人代表との打ち合わせの様子

「武漢に行くなら車を貸せない」

 総勢8名の大使館員からなるAチームが編成されたのは、1月25日夕方のこと。最初に直面したハードルは「北京から武漢への移動手段」だった。

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 植野氏は手記で、以下のように振り返っている。

〈(1月25日)夕方の時点では、湖北省外事弁公室から「高速鉄道を使うなら、特別に武漢駅での下車を認める」との意向が示されていたが、同日夜、同室から「高速鉄道は武漢駅に停車しなくなった」旨の連絡が入った。

 次に考えたのは、国内線で武漢に近い場所、例えば隣の湖南省長沙まで移動し、レンタカーで武漢入りする方法だった。しかし、長沙空港の複数のレンタカー会社に問い合わせたところ、いずれも「武漢に行くなら車を貸せない」との回答だった。

植野篤志氏

 ところが深夜になり、外事弁公室から「北京から外交ナンバーの車で来るなら武漢入りを許可する」と連絡が入った。当初は我々が複数の車を自ら運転することも考えたが、8名の館員とその荷物に加え、医療物資などを積むには、大使館が保有する車両で一番大きな「ミニバス」を使うしかないことが判明する。

 ただ、ミニバスとなると、私を含め日本人の館員の免許証では運転できない。そんな中、翌朝までに大型免許を持っている大使館の中国人運転手のうち、勇敢にも2名が名乗りを上げてくれた。彼らのおかげでようやく武漢入りのめどが立った〉