7月には悪夢の14連敗を喫し、8月もまた低空飛行が続いている。8月22日には真中満監督が今シーズン限りでの退任を発表。揺れに揺れている今年のヤクルト。諸事情により、先月更新できなかった「月刊伊藤智仁」、今回は7月と8月を振り返る。今回の最大のテーマは「ライアン小川のクローザー転向&先発復帰」について、改めてその真相に迫る。

インタビュー中の伊藤智仁コーチとのツーショット ©長谷川晶一

ライアン小川、クローザー転向、そして先発復帰

――まずは悪夢の14連敗を喫した7月を振り返っていただきたいんですが……。

伊藤 当然、チームの雰囲気はよくないですよね。先制点を取られる、追いつけない、追加点を奪われる……。そういう悪循環がずっと続いていたのが7月でした。

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――何とかムードを変えるべく、現状打破の起爆剤として、「小川泰弘のストッパー転向」を試みたものの、結果が残せずに「先発復帰」となりました。一連の経緯を振り返っていただけますか?

伊藤 結果的に6月30日の阪神戦で、秋吉(亮)が離脱してしまったけれども、当初は「8回・小川、9回・秋吉」、もしくは「8回・秋吉、9回・小川」という構想を抱いていました。けれども、秋吉が離脱したことによって、小川にすべての負担がいき、結果を残せずにもう一度、先発に戻った。経緯としてはそういうことです。

――7月7日の広島戦。5点リードを守れずに、小川投手が6失点を喫した「七夕の惨劇」もありました。カープ打線が、どんどん追い上げているときというのは、どのような心境で見守っていたのですか?

伊藤 悪夢のような心境ですよ。でも、あの場面、途中で小川を交代させるのならば、最初からクローザー転向はさせていません。信頼して託した以上は、彼を信じるしかない。ベンチワークとしても、打つべき手は打っているわけですから……。

――その後、9日の試合でも小川投手が打たれて、試合は引き分けに終わりました。結果的に「転向は失敗だった」と、いつ頃から考え始めたのですか?

伊藤 結果的には機能はしませんでした。でも、「失敗」というよりも、薄いリリーフ陣の中で、「何とか頼れる投手を一人増やしたい」という狙いの下での転向でした。確かに失敗したかもしれない。でも、後悔はしていません。ただ、彼自身がリハビリ明けの状態だったので、「長いイニングを任せるよりはまずは短いイニングから」という思いで挑戦したことは、結果的に「見切り発車だった」という反省はあります。でも、今でも「小川はリリーフ向きではない」とは思いません。

――どのような点が「抑えに向いている」とお考えですか?

伊藤 三振もとれる、コントロールもいい、落ちるボールもあるし、度胸もある。彼が万全の体調であれば、抑えでも十分に通用するのは確かだと思います。うちで一番いいピッチャーですから、先発もリリーフも、当然、どちらでもできます。

――抑え経験がない投手を「見切り発車」するというのは、本人の意思ではなく、首脳陣の責任でもありますよね。この点についてはどのようにお考えですか?

伊藤 7月に入る時点ですでにチームはかなり低迷していたので、やはり「何か起爆剤を」というのが最大の理由です。僕自身も(97年に)リリーフに転向したときに、最初はとまどいもあったけれど、少しずつ慣れていった。それを小川にも期待したのですが……。繰り返しになるけれど、誤解してほしくないのは、「小川にはリリーフはできない」ということでは決してなくて、広島打線の勢いに故障明けの小川がつかまってしまって、不安を抱えたまま、次の試合でも打たれてしまった。そういうことです。

――「先発復帰」は、いつごろ、どのような理由で決断したのですか?

伊藤 オールスター前の9連戦の最後の頃ですね。9連戦の最終戦(7月12日・対巨人)でビハインドの場面で、彼に放らせてみたんですけど、そこでも、彼本来のボールを投げることはできなかった。そこで改めて「このまま続けていても、彼のためにも、チームのためにもよくないな」と考えました。この日の帰りの車の中でずっと考えていて、翌日に真中監督に電話をして相談した上で、先発復帰を決めました。当然、批判は甘んじて受けます。