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 ところが一方で、韓国人、とくにメディアや知識人は日ごろ「国際関係には永遠の友も永遠の敵もない」というセリフを好んで使いたがる。敵味方はいつでも変わりうるということで、この地の国際関係論の“目ざとさ”を自慢(?)しているのだが、とすると加害者・被害者の構図も変わりうるのだ。

歪んだ「対日戦勝史観」が広がっている

 韓国は長年、日本に対しては“被害者ビジネス”に慣れ親しんできたため、自らの加害性には思いが及ばない。だから日本に対しては何をいっても、何をしても許されるという「反日無罪」「愛国無罪」がまかり通ってきた。国際社会での“告げ口外交”や、ことあるごとに日本の足を引っ張る言動もそうだ。

©AFLO

 たとえば東京オリンピックに対する“フクシマ風評被害”の流布や、パラリンピック金メダルのデザインに対する“旭日旗イチャモン”など、度を越えた反日パフォーマンスは日本人の反韓・嫌韓感情を確実に刺激している。

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 韓国側の過剰な反日現象の背景には近年、韓国社会における“歴史歪曲”としての「対日戦勝史観」の広がりがある。とくに「3・1独立運動100周年」だった昨年は官民挙げて「日本とは戦って勝った」「日本何するものぞ」の気分にあふれ、貿易管理問題も不買運動も「抗日戦争」として反日世論動員が行われた。

GSOMIAやレーダー照射に見られる“危うさ”

反日vs.反韓』(角川新書)

 文在寅大統領自ら「1945年の光復は外からもたらされたものではない」(2018年8・15記念演説)と宣言しているが、そうしたジコチュウ的な対日戦勝史観は韓国社会に「日本何するものぞ」という意気揚々、猛々しい雰囲気を生んでおり、日韓関係をいっそう困難にしている。

 たとえば対日戦勝気分はGSOMIA破棄問題やレーダー照射事件のような防衛・軍事問題にまで“ケンカ腰”となって現れているのだが、軍事問題におけるこうした感情傾斜は偶発性を伴うためきわめて危うい。「この危うさは対中関係以上かも知れない」というのが筆者の危惧するところだ。これは何としてもしっかり“管理”されなければならない。