“濃厚接触者”を隔離した記録も
さらに「自粛」とともに、感染者の「隔離」も、当時すでに行われていたという。
〈岩国藩(吉川領)は「遠慮」といって疱瘡患者に厳しい隔離を指示した藩です。若手研究者の頃、この藩の「疱瘡遠慮定」を見て驚きました。とにかく自粛が厳しいのです。武士領民に“自宅療養”を禁じ、「疱瘡退村」として特定の村を“隔離地域”に指定。罹患者を一定日数、そこに隔離しています。
“濃厚接触者”に近い概念までありました。最初は、「病人の看病人」、「病家の隣家」までが“濃厚接触者”として隔離され、その後、範囲が拡大され、「病家を訪れた人」や「隔離先の村人」なども隔離されるようになっています〉
今日のコロナ禍では、「自粛」を強要した場合に、「給付(補償)」が十分なされているかが議論されるが、その点、江戸時代はどうだったか。
流行1回に付き、米二百石の“補償”
〈岩国藩は、この点も徹底していました。「退飯米」といって、病人、看病人、同居人などの隔離費用を生活費も含めて、領主が負担したのです。その費用は、流行1回に付き、米二百石(桂芳樹『岩国藩の「疱瘡遠慮定」』岩国徴古館)にも達したと見られています。小藩にとっては、かなりの負担です〉
ただ、磯田氏はこうも指摘している。
〈岩国藩のケースを見ると、今日の対策よりも、江戸時代の方が手厚い補償だったと思われるかもしれませんが、これはあくまで例外です〉
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岩国藩と対照的な「隔離政策」をとった大村藩(長崎県)のケース、上杉鷹山が先進的な感染症対策を行った米沢藩のケースなども検証した磯田道史氏の「江戸の『生活・医療支援』」は、「文藝春秋」9月号および「文藝春秋 電子版」に掲載されている。
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江戸の「生活・医療支援」