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「まったく売れなかった」1985年の歌手デビュー

 YOUがデビューするきっかけは、高校卒業まぎわに原宿でモデルとしてスカウトされたことだ。だが、モデルの仕事を始めてみると、言われるとおりの表情をしたり、“変な服”を着させられたりするのがどうも性に合わなかった(※3)。そんな彼女を所属事務所の社長はなぜか面白がってくれて、ラジオや舞台の仕事を取ってくるようになる(※4)。ここから、劇作家の宮沢章夫やシティボーイズなどによる演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」や、野田秀樹主宰の「劇団夢の遊眠社」の公演に客演する。一方で、秋元康の作詞、鈴木キサブローの作曲により、フィンランドにまでレコーディングに赴いて1985年に歌手デビューを果たしたものの、まったく売れなかった。

 ラジカル・ガジベリビンバ・システムの公演には、コアな観客からアンケートで酷評を受けながらも、3年ほど出演を続ける。その舞台を観たミュージシャンの戸田誠司から誘われ、1988年にバンド「FAIRCHILD」を結成、ボーカルを務めた。YOUの芸名で活動を始めたのはこのときからだ。1990年には「探してるのにぃ」という曲でヒットも飛ばした。このころ、シロクマの着ぐるみでCMに出演したり、ワニをペットにしていると雑誌で紹介されたりと、メディアではいわゆる“不思議ちゃん”的な扱いだったのが、いまからすれば意外な気もする。

FAIRCHILDのベストアルバム「FAIRCHILD BEST COLLECTION HISTORY 1988-1993」

「6週間無視され続けた」30年前、ダウンタウンとの出会い

 その後の人生に大きな影響を与える出会いがあったのも、FAIRCHILD時代である。大阪・MBSラジオの深夜番組『ヤングタウン』の木曜のパーソナリティーだったダウンタウンの相手役を新たに決めるにあたり、構成作家の倉本美津留の推薦でYOUが起用されたのだ。倉本は、テレビの音楽番組で歌手の泉谷しげると彼女の会話がまったく噛み合わないのを見て、ピンと来るものがあったらしい。

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FAIRCHILDが1989年にリリースしたシングル「ラブ・シックは好き」

 しかし、いざ出演し始めたものの、ダウンタウンは2人でずっと話し続け、YOUにはまったく声をかけてくれない。じつに約6週間も無視されっぱなしで、彼女はストレスから胃潰瘍になってしまうほどだった。そんなとき、初めて浜田雅功が話しかけてくれ、この機を逃すまいとがむしゃらに飛びこんでいった。そこでようやく話に加わることができ、松本人志もしゃべってくれるようになったという(※5)。

“ラッキーだった”『ごっつええ感じ』

 それから1年半ほど経った1991年、今度はフジテレビで『ダウンタウンのごっつええ感じ』がスタートする。それまでバンドのプロモーション以外にテレビに出ることはほとんどなく、コントも初体験だった。このオファーがあったとき、周囲の人たちからはことごとく反対されるも、YOUはダウンタウンとぜひ一緒にやりたいと思い、出演を決める。最高のものをつくりたいというダウンタウンやスタッフの思いに応えるのは大変だったが、このとき初めてテレビ番組をつくる面白さを知った。後年、彼女は当時を振り返って次のように語っている。