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《あの番組に携われたのは時代的にも人的にもラッキーだったっていうこと。私の、その後の人生を方向づけたのは間違いなくダウンタウンですから。二人に出会う前は、シニカルな東京の笑いしか知らなかった。そこにエンターテインメント性が入ったダウンタウンはやっぱり最強でした》(※6)

『ごっつええ感じ』は産休のため途中で降板するが、その後、松本人志の『松ごっつ』(フジテレビ系)で出演者が鬼ババの格好をするコーナーにて活動を再開した。産休中、同番組を見て、復帰第1弾はこれと決めていたとか(※7)。もともと《働きたくないタイプなので専業主婦でも良かったんですが、いざ仕事を再開したら楽しくて楽しくて》、産休明けの30代半ばにして、ダウンタウン関連以外の番組にも続々と出演するようになる(※4)。バラエティで“姉さん”的なポジションにつくようになったのもこのころだ。

1989年、東京に本格進出したダウンタウン。91年にフジテレビ系で『ごっつええ感じ』がスタートする ©共同通信社

「嘘がない」樹木希林もホメた“演技力”

 ある対談で半生を振り返って、《だいたい私、誘われての人生なんです。自分で事を起こさないんですよ(笑い)》と発言しているように(※8)、YOUはバンド活動にせよ、ダウンタウンとの共演にせよ、一貫して他人から誘われるがままに仕事の幅を広げてきた。是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)で映画に初めて本格的に出演したときもそうだった。このとき彼女は、4人の子供を捨てて男に走る母親を演じ、話題を呼んだ。ただ、出演依頼を受けた当初は、映画づくりというと何度もリハーサルを繰り返すイメージを持っていたうえ、また重要な役とあって、《私を使うのはちょっと危険じゃないかなと》も思い、一旦は断っている(※8)。それでも是枝監督から、この映画は通常の撮り方とは違うと説得され、引き受けた。是枝によれば、彼女は脚本を撮影当日まで全然読んでいなかったものの、母親がスーツケースに子供を入れてアパートに引っ越してくるシーンの撮影では、《これは非常識で残酷なことですけれど、この家族の中では楽しいこととしてやりたいんですと説明すると、こちらが目指している感情を的確にYOUさんは捉えてくれました》という(※9)。

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2004年のカンヌ国際映画祭。主演の柳楽優弥(左から2人目)が史上最年少および日本人として初めて最優秀主演男優賞を獲得 ©getty

 是枝作品にはその後もたびたび出演している。映画『歩いても 歩いても』(2008年)では、樹木希林と母娘の役で共演した。その公開時、樹木との対談でYOUが《私は台本にないことをその場のノリでしゃべっちゃう。普通の女優さんなら対応してくれません。でも、私がどんなにとんちんかんでも、お母さんはそれを受け止めて倍にして返してくれた。刺激的でした》と述べたのに対し、樹木は《とんちんかんでも勝手なことをやっているのとは違う。台本を自分の中で消化して、生理的に嘘のない言葉を発している。だから、ああ、ちなみ[引用者注:YOUの役名]なら言いそう、と思えるの》と返し、彼女の演技を高く評価している(※10)。