石毛が支えにした堀内コーチの言葉
「チームが勝てば形はなんでもいい」
当時の堀内恒夫コーチの言葉が、制球に苦しむ石毛の支えになっていたという。リードを守ったまま試合を終わらせるため、相性の悪い打者を四球で避けることも厭わない。ランナーを出そうが、点を取られようが、最後にチームが勝てばいい……その信念を貫いたという。誰に何を言われても……。
しかし、そんな信念は監督には理解されなかったのか、絶対的な信頼を得るまでには至らなかった。長嶋監督が“国民的行事”と称した伝説の10.8も出番はなく、97年には近鉄にトレードされる。しばらくは不向きな先発で不遇な時代を過ごした。
「やっぱりストッパーがやりたい」。抱き続けた思いが、やがて本来の自分を取り戻す。巨人で培ったストッパーとしての経験を活かし、セットアッパーとしてリーグ優勝に貢献。その後入団した阪神でも活躍し、所属した3球団全てで優勝を経験する強運ぶりも見せた。
逆境の時思い出す石毛の投球
波瀾万丈ながら充実の野球人生を送っていた石毛とは対照的に、中学時代の性格を引きずったまま時を経た私は、相変わらず周囲を気にして生きていた。腹の轟音こそおさまったものの、部下の機嫌を取り続けた結果「何を考えているかわからない」と気味悪がられている。「上司は嫌われるのが仕事」。そんな常套句で気を紛らわせたが、コロナで収入が激減。居心地の悪さと収入が見合っていなかった。
逆境で心が折れかけた時に想ったのは、かつて自分と重ねた石毛のことだった。相手チームのファンから歓声が上がり、味方チームのファンからは懐疑的な目を向けられる……球場中が敵、まるで毎日がバイト初日のようなアウェー感の中でも、石毛は表情一つ変えずマウンドに上がり続けた。
「チームが勝てば形はなんでもいい」。その信念が、雑音に負けない強い気持ちを作ったのかもしれない。
将来の不安や周囲からの冷たい視線……今がどんなに無様でも、最後に笑えればいい――。逆境でも私が前を向けるのは、数多のピンチを切り抜けてきた石毛の投球が脳裏に焼きついているからにほかならない。
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