※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2020」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】南別府 学(みなみべっぷ・まなぶ) 東京読売巨人軍 39歳。東京生まれの松坂世代。原への憧れから「将来は東京ドームで活躍する!」と誓うも、中学で卓球部に入部し早々に夢を断念。現在は東京ドーム近くの会社でしがないサラリーマン生活を送る。2018年も文春野球フレッシュオールスターに出場し、5位と健闘(5人中)。

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「ピッチャー、橋本に代わりまして、石毛」

 ウグイス嬢のコールに、相手チームのファンから歓声が上がる。守護神が登板するにもかかわらず、巨人ファンはどこか不安げな表情で祈りをささげている。この先の波乱の展開を予想する、ワクワクとハラハラが入り混じったような雰囲気が、球場全体を包みこんでいた――。

相手チームのファンからも歓声が上がった“石毛劇場”

“勝利の方程式”。その言葉の響きから連想するのは“絶対的な安心感”だ。逆に相手チームのファンにとっては、一刻も早く家に帰りたくなるような絶望感がある。JFK、SBM48、スコット鉄太朗……。近年、多くの“勝利の方程式”が登場してきたが、その元祖がかつて巨人に在籍していた橋本清と石毛博史だった。

 1993年、長嶋茂雄監督は2人の継投リレーを“勝利の方程式”と名付けた。しかし、この言葉のイメージとは裏腹に、巨人ファンはハラハラさせられることが多く、相手チームのファンは決して席を立とうとはしなかった。その理由は石毛の制球難である。

 150キロ超のストレートと、フォークのように縦に鋭く落ちたスライダーを武器に、ストッパーとして活躍した石毛。93年には30セーブを挙げ最優秀救援投手に。翌94年もリーグ最多の19セーブを挙げ、優勝に貢献した。

 その一方、なかなか定まらないコントロールは、多くの巨人ファンを不安にさせた。自分でピンチを作り、最後は抑える……その様子は“石毛劇場”“自作自演”と揶揄され、吊り橋効果で巨人ファン同士のカップルが続々誕生してしまうのでは……と思わせるほどのスリルがあった。次第に制球難のイメージは浸透し、マウンドに上がる際、相手チームのファンからも歓声が上がるようになってしまう。

石毛博史 ©文藝春秋

気弱なイメージの石毛に親近感を覚えた中学時代

 神田正輝似のおだやかなルックスに、好きな食べ物は「きんぴらごぼう」。地球最後の日は「妻と一緒に過ごす」と当時語っていた心優しきリリーバー。四球を重ねるたびに明らかに顔面蒼白になっていく姿をテレビ越しに見ていた中学生の私は「石毛は気弱でリリーフに向いていない」と失礼なことを思っていた。と同時に、石毛と自分を重ね合わせていた。

 当時私はある悩みを抱えていた。緊張時の腹の音である。そんなことで悩むなんて喝!……そう思うだろうが、思春期真っただ中の中学時代。テスト中や静まり返った場面で、教室全体に鳴り響く尋常ではないレベルの轟音を気にせずにはいられなかった。一度鳴り出したら止まらないその音は、もし“腹の音甲子園”があったら10年に1人の逸材と謳われ、5打席連続で敬遠されるレベルの音量だった。

「また今日も鳴るのでは……」。原因不明の腹の音に怯え続ける空虚な中学時代を送った。その影響で、いつも伏し目がちに周囲を気にするようになり、気弱な性格に拍車がかかっていった。

 すべてを忘れさせてくれる唯一の楽しみが巨人戦だった。中でも気弱なイメージの石毛には親近感を覚えた。制球に苦しみピンチを広げていく石毛に、腹の音をおさめようとすればするほど大きな轟音が腹から鳴り響く自分を重ねて見ていた。

 しかし後年“気弱で四球を連発する石毛”のイメージは、本人の証言によってくつがえされる。当の石毛はある“信念”を持ってマウンドに上がっていたのだった。