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御礼と報告をしに再びSILOKUへ

 だが結局、その年も就活には失敗した。他業界も受けてはいたので無い内定という事態は避けられたが、志した道に進むことはできなかった。

 それでも、あれだけ背中を押してもらったのだ。下園には御礼と報告にいかないといけないだろう。初めて訪ねてから4ヶ月後の6月下旬、再びSILOKUに行くと、まだ下園はいた。

 ちょっと驚いた顔をされたが、まだ私のことを覚えていた。

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 その時、どうしても聞きたいことがあった。

「球団職員も打診されたのに、なんで断って今このお店をやっているんですか?」

 就活を終えたばかりで人の仕事の選択に興味を持ったのかもしれない。引退時に球団職員の道を打診されて断った、というのは記事で目にしていた。

 下園は少し遠くを見るような目で、こう答えた。

「やりたいこととは、違ったからね」

 やりたいことがある。でもそれはやれない。就活を終えたばかりの身にその言葉はズシンと重く、そうだったんですか、としか言えなかった。誰もが希望の仕事をできるわけではない。たとえ、プロ野球選手であっても。

 また、来ますね。そう言って店を後にした。

 下園が「やりたいこと」と言っていたのがコーチであったと知るのは、そのもう少し後のことだ。コーチやってくださいね、なんて軽口たたいたけど、それがまさに下園の希望だったようだ。

©文藝春秋

再び遠い存在になった下園

 10月、CSが終わってまもなく、その下園が2軍打撃コーチとして復帰することが報道される。やっとか。やっと、その時がきたのか。思っていたよりずっと早かった。

 いてもたってもいられず、10月14日、SILOKUに向かう。下園は…………いなかった。移転して少し広くなった店内に、あの気さくなイケメンの姿はなかった。お店の人に尋ねると、いつ顔を出すかもわからないらしい。

 そりゃそうだろう。すぐに秋のキャンプに入り、新体制は始動するのだ。忙しいに決まっている。ただ一言伝える、それさえもう叶わなかった。

 今年、嘉手納キャンプを見に行った時、新しい背番号70の背中を見かけた。声をかけようかと思ったが、他のファンもいるのでやめておいた。いいさ、2軍戦を観に行けばチャンスはあるだろう。

 だが、その後会社から初任地が発表され、私は関東から遠く離れてしまった。加えて、コロナ禍で選手やスタッフと交流することもできない。今ではもう、下園は再び遠い存在になってしまった。

 左の代打が出てくると、胸がざわざわする。今は、どうしているのだろう。グラウンドに立つ時、どんな顔をしているのだろう。ただ一言が胸につかえる。

 下園に、「おめでとうございます」と、その一言が言えていない。

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