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「壊れていったのは自分の責任」デビュー25周年の華原朋美が語った小室哲哉への“感謝”

「彼の作った歌を歌うために一所懸命レッスンをしました」

2020/09/08
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 デビュー曲「keep yourself alive」リリース時、曲は気に入っているかと訊かれ、華原は次のように答えた。

《とても気に入っています。特に歌詞。21年間生きてきたことが歌詞になっているんです。例えば“現実を逃げてる”なんてフレーズが出てくるんですけど、ある意味で本当のことだからドキッとしたりして……。この曲を聴いてもらえば、私がどれだけ甘えて育ってきたか、どれだけ危ういヒトかわかっちゃうから(笑)。作詞をした小室さんは、私がこれまでの21年間、どう生きてきたか(私が話したので)知っていますし、思い入れがある半面、歌っててすごく恥ずかしい部分もあります》(※4)

2003年 「PLEASURE」発売会見にて ©時事通信社

 残念ながらこの曲はヒットチャートでは1位にならなかったが、小室は「1位を目指す」と、その後も彼女のために曲をどんどんつくっていく。翌月にリリースした2ndシングル「I BELIEVE」で本格的にブレイクすると、1996年3月リリースの3rdシングル「I'm proud」はヒットチャートでの最高位は2位とはいえ、160万枚の大ヒットを記録。そして同年6月には1stアルバム『LOVE BRACE』が初めてチャートで1位を獲得する。このアルバムについて《プロデューサーと歌手との結びつきという意味で、やはり奇跡的な作品だったと思います》と、後年華原は振り返っている(※1)。「keep yourself alive」と同様、収録曲の歌詞には、2人のリアルなエピソードから拾ったフレーズが多々あったという。彼女はそれらすべてを「恋人からのプレゼント」と受け取った。歌入れのときは、アドバイスされたことを忠実に頑張ろうとしたが、それは歌手としての向上心とイコールではなかった。それよりは、《自分の歌を通して、愛するということを実感したかった》というのが正直なところであったらしい(※1)。

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デビュー曲「keep yourself alive」

 このあと、1stアルバムの表題曲をカットした4thシングルに続き、「save your dream」(1996年10月)、「Hate tell a lie」(1997年4月)、「LOVE IS ALL MUSIC」(1997年7月)、「たのしく たのしく やさしくね」(1997年9月)と4作連続でシングルチャートでトップに輝く。1996年には年間の総セールスが500万枚を記録、彼女が好きだと言ったことからキティちゃんがブームになったりもした。こうして13枚目のシングル「daily news」(1998年10月)、3枚目のアルバム『nine cubes』(1998年11月)まで小室がプロデュースし、快進撃が続いた。