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「壊れていったのは自分の責任」デビュー25周年の華原朋美が語った小室哲哉への“感謝”

「彼の作った歌を歌うために一所懸命レッスンをしました」

2020/09/08
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 しかしデビュー4年目にして2人の関係は終わりを迎える。それまでに華原は小室から距離を置かれるようになっていた。別れ話をすることもなく、そのままフェードアウトしていったというのが実状らしい。後年、彼女は著書で《こうやって過去をたどってみると、あの「何もない別れ」ほど悲しいものはなかった。それで人生が大きく変わってしまったのは事実です》と書いている(※1)。

2005年には写真集「Crystallize」も発売

 ファンからは「トモちゃんたちの関係を目標にしていたので、裏切られた」という手紙がたくさん届いたという。周囲の人たちも離れていき、すべてを失ったと思った。このころから睡眠剤や精神安定剤に依存するようになっていった(※5)。その後、薬物依存症から休業と復帰を繰り返すも、深刻さが増して仕事にも支障をきたし、2007年には所属事務所を解雇される。

2018年には不倫問題で世間を騒がせた小室 ©文藝春秋

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 そこから再度復帰するまでには、家族も巻き込んで血のにじむような年月を送った。2010年には2ヵ月間、精神病院の隔離病棟に入院。退院後は父にフィリピンへ誘われる。父は会社を退いたあと、フィリピンで仕事を始め、福祉施設でボランティア活動をしていた。彼女もボランティアを手伝いながら社会復帰をめざす。しだいに調子を取り戻すと、父に後押しされながら、解雇された事務所の社長に「もう一度歌いたい」と手紙を送った。1年を経て帰国し、家族の支援を受けて復帰への道を探り始めたところ、事務所から復帰できるとの電話をもらう(※5)。カムバックの舞台となったのは、2012年暮れの『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)だった。バイオリニストの宮本笑里とのコラボレーションで披露した「I'm proud」の変わらぬ歌声は、視聴者を驚かせた。翌年の同番組では小室哲哉との久々の共演も実現し、すっかり吹っ切れたことを印象づけた。