コロナ禍が歴史を変えた?
NBAのシーズンは本来、6月で終了する。だが今年はコロナ禍による中断をはさんだため、ケノーシャで事件が起きた8月23日は、プレーオフ1回戦の最中だった。バックスが26日に予定されていた対オーランド・マジック第5戦のボイコットを決めると他チームも賛同。リーグも28日までの3日間の全試合を延期し、選手に賛同の意を示した。シーズンが約3カ月遅れ、しかもバックスがプレーオフに勝ち残っていたからこそ可能だった。
コロナ禍は、選手の団結にも大きな役割を果たした。NBAは感染の危険を避けるため、フロリダ州オーランド近郊のスポーツ施設とホテル3棟を借り切って、通称「バブル」と呼ばれる隔離空間で全試合を開催している。選手たちは7月7~11日にバブル入りして以来、一度も外界に出ていない。バックスは7月からレーカーズやロサンゼルス・クリッパーズと同じホテルに宿泊。共同生活が抗議行動の迅速な広がりを生んだ。
ボイコットを提案したバックスのジョージ・ヒルは8月29日、スポーツ専門局ESPNに「ボイコットを決める前、どのような結果をもたらしても受け入れる覚悟が必要だとみんなに話した。しかし(いざやってみると)他の競技にも伝わった」と話した。ニューヨーク・タイムズ紙が「スポーツリーグをまたぐ米国史上もっとも広範な意見表明を引き起こした」(8月28日)と書いたように、ボイコットはサッカー、野球、アイスホッケーなどあらゆるプロスポーツに波及した。
NBAに急激な変化が訪れた1960年代
1949年まで黒人を受け入れなかったNBAに急激な変化が訪れたのが、1960年代だった。黒人のビル・ラッセルやウィルト・チェンバレンらがリーグの顔となり、リーグを取り巻く文化も他の競技とは一線を画するようになった。
例えばバックスは1969年、カリフォルニア大ロサンゼルス校のルー・アルシンダーをドラフト1位で指名した。アルシンダーは大学2年時に、ボクシングのモハメド・アリの徴兵拒否表明の記者会見に同席して支持を示した。徴兵拒否という“犯罪”(のちに最高裁で無罪判決)を支持し、人種問題を堂々と語る大学生を受け入れる土壌があったということだ。
アルシンダーはイスラム教に改宗したことを明らかにして2年目からカリーム・アブドゥルジャバ―と改名。その年バックスを初のチャンピオンに導いてMVPを獲得した。7年目からレーカーズへ移籍し、活動家としても発言を続けた。