写真とは「切断されたもの」か、それとも「つながったもの」か
なんとか作品全体に視線と意識を戻すと、それぞれの写真の周りは、白、黒、赤、青、黄といった色の描線で埋められている。絵具を画面に垂らす「ドリッピング」という手法によって、オノデラがみずから施したものだ。
これが3連の作品全体のビジュアルイメージをより華やかにするとともに、各写真の「つながり」も生み出している。線の色がグラデーションを成しているので、3つの写真はこの位置で固定されており、ひとつのまとまった作品なのだなと認識できるのである。
周りを統一した模様で囲みさえすれば、バラバラの写真もまとまったものとして感じられる……。思えばこれも不思議なことだ。「シャッターを切る」という言葉に象徴されるように、写真はある一瞬のある場所を切り取って一枚の絵柄をつくるもの。時間と空間を限定し、ブツ切りにしてつくられるのが写真の本性だ。
あれ、それなのに。ドリッピングで囲ってしまえば、一枚ずつとことん「切れている」はずの写真同士があっさりとくっついてしまうなんて……。いくらシャッターを切っても、じつは何も切り取れてなどなかったのか。
そんなことを考えながら眺めていると、いつまで経っても作品を見切った気分になど到底なれない。視線や考えが行きつ戻りつしながら、気づけばずっとこの作品の前に立ち尽くしているのだった。
フィルムカメラでみずから撮った写真を大きなプリントにして、それを切ったり貼ったり、何か描き込んだり。オノデラユキというアーティストはまたずいぶん奇矯なことを熱心にしているもの……。そう思うかもしれないが、実際に作品の前に立つとすべてに意味があったのだとはっきりわかる。観る者にあらゆる手段で揺さぶりをかけて、見慣れたものをまったく見知らぬものに変えようとしているのが、しかと伝わってくる。
ここにオノデラが、写真を素材に使い続けることの理由も見出せる。私たちにとってとことん身近で見慣れているはずの写真という存在を変容させることで、既知のものが未知のものとなる驚きを演出しているのである。
Yumiko Chiba Associatesでの展示と併せ、オノデラは銀座でも展示を行っている。ザ・ギンザ スペースでの「FROM Where」。こちらでは1990年代に発表した作品「古着のポートレート」シリーズを展示。お古のワンピースやシャツを後ろから棒で支え、青空をバックに撮影している。主人から解放された衣類がみずから立ち上がって自己を主張しはじめたようなイメージは、爽やかでかつファンタジーを感じさせる。
オノデラユキ作品はあまりに多様な要素を含むゆえ、ときに対面して戸惑うことだってあるかもしれないけれど、誰にとっても身近な写真というものがベースになっている点を入口にして親しみを感じていくのはひとつの手。自分も日頃撮り、眺め、大いに活用している写真というものの「別の顔」や、ふだんは気づかぬ「思わぬ能力」を知るいい機会にもなってくれそうだ。