浮世絵版画と聞けば、
「ああ、あの江戸時代に流行ったという……」
と思い浮かべるのが、ごく普通の反応かと思う。そう、美人画や役者絵、風景画などが大量に市中で売られ、江戸庶民の無聊を慰めた。それが浮世絵という存在だった。
でも考えてみれば、なぜ江戸時代に限定されるのか、ちょっと不思議だ。
技法が編み出され、ジャンルとして確立したのは江戸時代中期なので、それ以前に存在しないのは当然。がしかし、浮世絵は現世でもかなりの人気を博している。その証拠のひとつに、今夏も「The UKIYO-E2020 日本三大浮世絵コレクション」なる大型企画展が開催され、評判をとっている。
ならばいまだって浮世絵がどんどん生み出されたって不思議ではないのに……。
そんな声に応えてのことかどうか。伝統を受け継ぎ、浮世絵制作を続ける工房は、各地にいくつか現存する。
東京・目白にあるアダチ版画研究所は、江戸伝来の浮世絵から現代の新作木版画までを手がける老舗。彫師と摺師が一つ屋根の下で仕事をする工房であるとともに、版元としての役割も兼ね備えている。江戸の頃と変わらぬ素材や道具、そして高度な木版技術を駆使し、色鮮やかな浮世絵を生み出し続けているのである。
その見事な業の一端を、ぜひ見せてもらおう。ではどんなものを? こんな季節である、ここは納涼のために「怖い浮世絵」でどうかと所望してみた。
ならばと出してもらえたのが、まずは幕末に「奇想の絵師」
妖術を帯びた伝説上の人物・瀧夜叉姫が、
大きく表現されたガイコツの迫真性たるや、凄いではないか。
さらには、葛飾北斎の「百物語」シリーズである。
天才絵師・北斎が描いた「怪談」は、5点のみ現存している
葛飾北斎といえば、浮世絵界における大スター。シリーズものの「冨嶽三十六景」の一枚《神奈川沖浪裏》は、「ビッグウェーブ」と称され世界にそのイメージが轟いている。
ものを写すのに図抜けた技量を持っていた北斎は、風景から人物、動物まで、森羅万象を絵に描いた。何でも描けるのが「売り」だったのだから、もちろん妖怪や幽霊の類もお手のもの。そこであるとき、怪談「百物語」を題材にした浮世絵シリーズを手がけることに。
百物語というのは、江戸時代に流行した怪談会の形式。夜分に何人かが寄り集まって、順に怪談話を披露する。話がひとつ終わるごとに、灯していたロウソクをひとつずつ消していく。百話を達成して最後の灯りが消えると、そこに怪異現象が起こるというのである。
現在伝え残っている北斎作「百物語」は、以下の5点。それぞれどんな話を描いているかを見てみると、こうなる。
《「百物語」こはだ小平二》は、江戸の物語作者、山東京伝の読本で広まったストーリー。
初代尾上松助門下の役者・小幡小平次は、妻の密夫に殺されてしまい、その後未練が残り幽霊となってこの世に現れるようになる。
浮世絵に描かれた場面は、小平次が恨めしそうな顔で蚊帳の中を覗き込んでいる。描き込まれた揺らめく焔が、小平次の心情をよく表している。