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違法ではないが、道義としてどうかという裏技

『市場と権力』には竹中平蔵のズルい話がいくつもある。住民税を回避するために住民登録の抹消と再登録を繰り返し、その術を林真理子との週刊誌での対談でおおっぴらに勧める。

 あるいは小渕内閣の頃、「官房機密費を使ってアメリカに出張したいんです」と政府の諮問機関の事務局にお願いをする。不人気を極める森内閣のおり、その後の政局が自民党・民主党のどっちに転んでもいいように、両方のブレーンとなる。こうしたものだ。

 違法ではないが、道義としてどうかと思うような、いわば裏技のようなやり口に対して後ろめたさがない。そんな人物像が浮かんで来る。

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竹中平蔵 ©文藝春秋

 あるいは肩書の使いわけもそうだ。90年代末、竹中平蔵は慶応大学の教授など様々な肩書を得る。そのなかには国際研究奨学財団(後に東京財団に改組)の理事もあった。フィクサー・笹川良一が設立した日本船舶振興会からの資金で出来たシンクタンクである。

 しかし笹川良一のダーティーなイメージを嫌ってのことか、「東京財団でやっていたことを書くときでも、慶大教授の肩書で発表していました。東京財団の名前は出さないことが多かった」という。

 これは今日、竹中平蔵が新聞やテレビ番組などで労働に関する政策について論じる際に、パソナ会長の肩書を隠して大学教授を名乗るのに通じる話だ。もっともこうしたズルさの最たるものは、自らが進めた規制緩和によって儲けるパソナの会長になったことであろうが。

「博士号取得工作」で大学教授、シンクタンク、そして大臣へ

 ところで竹中平蔵とは、いったいどんな経歴の人物なのか。1951年、和歌山県の履物屋さんの家に生まれ、地元の進学高から一橋大学へと進学し、政府系金融機関に就職する。

『市場と権力』にはそのおりおりのエピソードが並べられるのだが、「家業がどん詰まりになって、家に借金取りが押しかけたり、一家離散となったりして、社会への復讐を誓った!」というような強烈なエピソードがあるわけではない。裕福ではないが貧しくもない、いたってふつうの前半生である。

 そして良くいえば如才なく、悪くいえばズルく、身ひとつで這い上がっていく。その過程で「博士号取得工作」などをして大学教授にまでなると、今度はサイドビジネスとしてシンクタンクの職を得る。このあたりが『市場と権力』の読みどころだ。佐々木実は、竹中平蔵にとってシンクタンクは「政治に近づくための手段であると同時に、大きな報酬を得るための大切な収入源」であり、「経済学という知的資産を政治に売り込み、換金する装置」であったと看破するのである。

2004年、参院選公認証書を受け取って ©共同通信社

 このように「ビジネスとしての経済学」に目覚めた竹中平蔵だが、凡百の秀才と異なるのは、シンクタンク程度にとどまることなく、政府のなかに入っていき、さらには小泉内閣の大臣にまでなってしまうことだ。こんな人物はほかに例があるまい。同時にそれが日本社会にとって不幸を生み出していく。