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なぜ2人はテレビの世界に飛び込んだのか?

 石橋は高校生の頃から、素人参加のお笑い番組に出場して爆笑をさらうスーパー素人だった。その過程で圧倒的な実績を残して「俺は日本一面白い素人だ」という自信を持った。

 そして、高校卒業後にホテルに就職してホテルマンになった。石橋とのコンビで素人参加番組に出たこともあった同級生の木梨も、高校卒業後に自動車会社に就職した。この時点では、石橋は自分が芸人を目指すなどとは考えていなかった。

 だが、就職した石橋のもとに『お笑いスター誕生!!』という当時人気だったお笑いオーディション番組の誘いが来た。コンビでそこに出た彼らは、並み居るプロの芸人の中で、5週目まで勝ち抜くという実績を残した。その後、再挑戦で10週勝ち抜きを果たしチャンピオンになった。

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20代の頃のとんねるず。『ねるとん紅鯨団』の第1回収録の様子(1987年9月)

 この過程で彼らは人気者になり、大手企業の森永製菓からCM出演の依頼が来た。そこからあれよあれよという間に彼らはスターへの階段を駆け上がっていくことになった。

 芸人としての弟子入りも下積み修業も経験していない彼らは、「素人」の意識のままでテレビの世界に殴り込みをかけた。とんねるずはフジテレビの深夜番組『オールナイトフジ』に出て、無軌道に暴れ回った。スタジオの観覧席にいる観客を煽って、客席に飛び込んだ。あらゆる場所で暴走しまくり、それを自分たちの芸風にしていった。

“歌手と芸人”の垣根もぶち壊した

 当時の彼らの売りは、自分たちがただの素人であること、低学歴で貧乏であることだった。持たざる者であった彼らが開き直ってそれを武器にして暴走することで、同世代の若者から熱狂的に支持された。

 彼らの向こう見ずな暴走がどんどんエスカレートしていくのに伴って、彼ら自身が芸能界の中で祭り上げられていった。彼らはスターのふりをして偉そうに振る舞っているうちに、本物のスターになってしまった。

 芸人であるにもかかわらず、歌手としても人気を博していった。1985年にリリースした『雨の西麻布』はオリコン最高5位、『ザ・ベストテン』最高2位の大ヒットを記録。多数の歌番組に出演して、そこでも相変わらずの暴れっぷりを見せた。

『雨の西麻布』

 当時、歌手と芸人の間にははっきりした区別があった。素人を名乗る芸人が歌番組の世界に割って入り、きらびやかなアイドルやアーティストと肩を並べるのは異様な光景だった。

 とんねるずは素人のままでスターになった。そんな彼らは芸がないことを芸にした最初の芸人だった。若手芸人は『M-1グランプリ』や『キングオブコント』で活躍して、芸が認められたら初めて世に出ることができる、という今の時代の芸人とは感覚が違う。「芸人なら芸がないといけない」というセオリーを覆したのが彼らの新しさだった。