世界に冠たる大英帝国を築いたのは7人の悪党だった!本流の外からアウトサイダーとして登場し、いつしか権力の中枢へと上り詰めた7人に、歴史学者の君塚直隆氏がスポットライトをあてた『悪党たちの大英帝国』(新潮新書)。同書より、史上初めて公の場で国王の首をはね、アイルランド遠征で虐殺を行った、稀に見る悪党のクロムウェルについて一部を抜粋し、清教徒革命への道のりを紹介する。

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(全2回の1回目。#2を読む)

ダビデになったクロムウェル

「王殺し」を成し遂げたクロムウェルにとっての次なる目的は、内乱の過程で亡き王を支えたアイルランドとスコットランドの征服に乗り出すこととなった。

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 まずはアイルランドである。前章でも記したとおり、1世紀前のヘンリ8世の時代からイングランドによる本格的な支配が進むようになっていたアイルランドでは、住民(その多くが小作農)の8割以上がカトリック教徒であった。イングランド国教徒やプロテスタントの地主たちから抑圧を受けていたなかで、イングランドが混乱していた1641年11月にカトリック教徒による反乱が勃発していた。この反乱で5000人から1万人の国教徒とプロテスタントが殺害され、多くがイングランドへと逃亡してきた。ところがこのときの大惨事の噂にはやがて尾ひれがついて、殺害された人数は15万人にも及んだなどというデマが拡がってしまった。

チャールズ一世の処刑

 このときの怒りをクロムウェルは終生忘れなかった。虐殺の第一報を聞いたクロムウェルは、アイルランドに向けて次のような宣言を発していた。「貴兄らは正当な理由もなく、これまで陽の下では行われたこともないほど残虐な虐殺行為を、老若男女を問わずイングランド人に加えた。[中略]神が貴兄らとともにいますだろうか。絶対にそうではない」。

 さらに内乱末期の1648年秋には、国王派がアイルランドのカトリック勢力と手を結んで、囚われの身となっていたチャールズ一世の救出を計画していた。もともとがカトリックを「反キリスト」勢力と嫌悪していたクロムウェルのことである。これを機にアイルランド征伐に乗り出すことにした。国王処刑から半年ほど経った1649年8月、議会やロンドン商人らから15万ポンドという巨額の軍事費を得ていたクロムウェルは、アイルランド統監に任命され、総司令官としてアイルランドに侵攻を開始した。