「神の正しい裁きであると、私は確信する」
クロムウェルの目的は、チャールズ一世の処刑に伴い、皇太子チャールズ(のちの国王チャールズ二世)の推戴を支持する軍事勢力を一掃し、1641年の反乱以来イングランド側に被害を与えてきた勢力の粉砕と彼らの土地の没収・分配を成し遂げ、アイルランドの「イングランド化(市民権導入と宗教の規制)」を推し進めることだった。
40週間(1649年8月~50年5月)に及んだ遠征で、クロムウェル率いる1万5000人の軍隊は25の要塞都市と城郭を占領した。その過程で、アイルランド東海岸の町ドロヘダと南岸のウェクスフォードでは、それぞれアイルランド側に3000人と2000人という犠牲者を出していた。しかもこのなかには民間人(女性や子ども)まで含まれていた。
堅固な防備を誇ったドロヘダを圧倒的な兵力で陥落させたクロムウェルは、捕虜の助命も拒否した。当時の戦争法規からすればそれは非合法ではなかったが、それでも慣習的には助命を申し出てきた捕虜の扱いには寛容だった時代のことである。さらに女性や子どもも乗せたボートにまで容赦なく砲撃を浴びせ沈めてしまった。クロムウェルはドロヘダ陥落の報告書にこう記した。「これは多くの無実な人々の血でその手を染めた野蛮な恥知らずどもへの、神の正しい裁きであると、私は確信する」。
「虐殺者」「植民者」クロムウェル
また、ウェクスフォードでは、降伏交渉の途中であったにもかかわらず攻撃が開始され、これまた女性や子どもまで含む多くの民間人が犠牲になった。こちらは当時の戦争法規に照らしても完全に違法であったが、クロムウェルはこう断じている。「神は予期もしないような摂理によって彼らに正しい裁きを与えたもうた。[中略]多くのあわれなプロテスタントに加えた残虐行為に、彼らはその血をもって償いをしたのである」。
クロムウェルにとっては、内乱終結後に平等派や長老派、国王や貴族たちに示したのと同じく、「神の摂理」によりアイルランド(カトリック)を懲らしめたにすぎなかったのかもしれない。
そしてこの大遠征で捕虜にされたものの多くが西インド諸島や北アメリカ植民地に奴隷として売られていった。さらにアイルランドの豊かな土地の多くが没収された。それは全島の実に40%に相当した。没収地は遠征費を用立ててくれたロンドン商人やプロテスタント系の地主たちの手に渡っていった。彼らの多くが不在地主であり、ここにアイルランドの植民地化が一挙に推し進められたのである。カトリック教徒は荒れ果てた西部のコナハト地方へと追いやられていった。アイルランドでは「虐殺者」「植民者」クロムウェルの名は憎悪の対象となった。