血みどろの抗争を経て
こうして「王殺し」から2年半ほどの間に、クロムウェルはアイルランドとスコットランドの征服にも成功を収めた。近年ではこれに先立つ内乱も含めて「三王国戦争」と呼ばれている。
しかしこの戦争でクロムウェルは、戦闘の目的が君主自身の栄光を高めるだとか、傭兵隊長の企業活動だとかにすぎなかった中世から近世にかけての戦争観念とは異なり、あくまでも戦争を政治の道具とみなして、ある意味では「国益(国家全体の利益)」を優先したのであった。このように「勝利」を個人的栄光や企業営利とは別次元の究極目標に据えていたあたりが、小泉徹も喝破するとおり、近代国家形成にあたりクロムウェルが時代に先んじていた証であった。その点では、彼の発想は極めて「近代的」なものであったといえよう。
さらにこの「三王国戦争」を経て、「グレート・ブリテン及びアイルランド」の真の支配者となったクロムウェルはいまや600万人を超える国の統治者となっていた。1653年12月に、彼が護国卿(後述)としてこの国の統治にあたることを受け入れたときに出された「統治章典」には、「1人の人物とひとつの議会によって統治される」ことも記されていたが、かつてジェームズ一世がめざした「完全なる合邦」がここにクロムウェルによって成し遂げられたのである。ただし、ジェームズが議会同士の話し合いによって平和裡に実現しようとしていたのとは裏腹に、クロムウェルの場合はまさに血みどろの抗争を経ての結果ではあったが。
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【参考文献】
今井宏『クロムウェルとピューリタン革命』(清水書院、1984年)
Morrill, Oliver Cromwell(Oxford University Press, 2007)
小泉徹『クロムウェル-「神の摂理」を生きる』(山川出版社、2015年)
岩井淳『ピューリタン革命と複合国家』(山川出版社、2015年)
富田理恵「ユニオンとクロムウェル-スコットランドの視点から」