未曽有のコロナ禍に見舞われた沖縄。7月下旬から陽性者が急に増え始め、8月9日には、これまでで最多の159人の陽性者が発表された。直近1週間の人口10万人あたりの陽性者数も、9日には東京都(17.25人)の2倍以上となる41.87人となり、この時点で人口当たり「日本最多」の陽性者数を数えるまでになった。
5月、6月には陽性者ゼロの日が続いていた沖縄で、なぜ7月になって感染拡大が起こったのか。その要因の一つとして「夜の街」を訪れた観光客によって持ち込まれた可能性が考えられている。7月下旬に、那覇市の歓楽街である松山地区の店で新型コロナのクラスターが発生。その店を利用していた千葉県や東京都から訪れた客の感染が確認されたからだ。
こうした事態を受けて、玉城デニー知事は8月1日に県独自の緊急事態宣言を発出し、本島全域での不要不急の外出自粛や夜10時以降の外出を控えるよう呼びかけた。また、松山地区の接待を伴う飲食店に対し、8月1日から15日まで休業要請を出した。つまり、事実上、松山地区のロックダウン(封鎖)に踏み切ったのだ。
キャバクラ地帯の売り上げは例年の1割
その松山地区の様子を見るため、休業要請が解けた8月下旬、筆者は現地を訪れた。キャバクラが書き入れ時を迎える夜10時頃。通りを歩く客の姿はほとんどなく、店の前の道にたむろするキャッチの若い男性の姿ばかりが目立った。筆者が訪れた松山地区の音楽バーの店主は、こう嘆いていた。
「松山でコロナが出てからの売り上げは、以前の1割だね。うちはまだ経済的に余力があるから開けてられるけど、これが年末まで続いたら家賃も払えなくなる。どこも持たないんじゃないかな?」
松山地区の飲食店だけではない。那覇最大の繁華街である国際通りでも、観光客らしき人をちらほら見かけるものの、土産物屋やタピオカ屋を覗くと、店員が時間を持て余している姿が目立った。国際通りの横道から入る昔ながらのアーケード商店街も、シャッターを閉めたままの店が大半だった。
タクシー運転手も、苦境にあえいでいた。それまで頑張れば18万か20万あった手取りが、緊急事態宣言以降4、5万にまで減ったという。8月19日には、免税店を運営する沖縄DFS社が希望退職を募り、約400人の従業者のうち180人がこれに応じたというニュースも報じられた。