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株式会社TOKIO設立の“もう一つの狙い”

「今年の7月、TOKIOは2021年3月をもって長瀬智也がジャニーズ事務所を退所すること、そして残された3人はジャニーズ事務所内の子会社として『株式会社TOKIO』を設立し、城島茂が社長、国分太一と松岡昌宏が副社長に就任すると発表しました。山口容疑者の脱退以降、2019年に予定されていたデビュー25周年ツアーが中止になるなど、TOKIOの音楽活動は完全にストップ。そんな中、音楽活動に一番思い入れの強い長瀬が事務所を離れ、アーティストとして新たな活動を始めることになったのです」(音楽関係者)

 城島・国分・松岡の3人が株式会社TOKIOを設立することについて、ジャニーズ事務所は「ジャニーが命名したTOKIOという看板は今後も背負った形で、グループと個人の仕事を今まで以上に自由度高く、新しい仕事に積極的に挑んでいきます」と、その意義を説明している(ジャニーズ事務所「弊社所属アーティスト『TOKIO』に関するご報告」)。だが、そこにはもう一つ、言葉では語られていない“目標”があった。

2018年、謝罪会見でのTOKIOメンバー ©文藝春秋

「株式会社TOKIOには、将来的に山口達也を引き取って、一緒に音楽活動をするための“受け皿”という狙いもありました。実際、今年7月の発表時に、ジャニーズ担当の記者と城島・国分・松岡との懇談会が行われたのですが、その席で3人は今も山口と連絡を取り合っていることを明かした上で、『将来どんな形になるか分からないが、関わることもあるのかもしれないし、絶対ないとは言えない』と話すなど、将来的な“山口合流”の可能性を滲ませました」(ワイドショーデスク)

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長瀬智也も再結成を待ち望んでいた

 このときは『女性セブン』の取材に対し、国分が「今でも山口とはつながっています」と答えるなど、“5人揃ってTOKIO”とのメッセージが強く打ち出された。そして、その思いは長瀬も同様だったようだ。

 もともとTOKIOの中で音楽的な側面を担っていたのは主に長瀬と山口であり、その長瀬は山口とともにバンド活動を再開したい、という気持ちが人一倍強かったと言われている。2021年をもってTOKIOは一旦バラバラになるが、3年後か5年後か、ふさわしいタイミングが来たら再び全員で集まり、音楽活動を再開する――そんなお膳立てが進んでいたのだ。

 また、“山口合流”に向けた動きは、何もTOKIOのメンバー内だけで進んでいた話ではない。