「文藝春秋」9月号の特選記事を公開します。(初公開:2020年8月24日)

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〈(川辺川)ダム工事の着工直前になって、知事が代わってダムをやめた。(熊本豪雨災害は)一種人災の面がある〉

 今年7月の熊本豪雨災害に関して、こう発言したのは、経団連の山内隆司副会長だ。熊本県の蒲島郁夫知事が2008年に川辺川ダム建設を取りやめたことを「一種の人災」と断じたのだ。

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 この発言に「私もまったく同感です」と述べるのは、京都大学大学院教授で土木工学が専門の藤井聡氏だ。

〈40年にもわたる建設計画は、7割ほど進んでいて、言わば“完成間近”でした。ところが、知事の一声で、2008年に突如として中止になってしまいました。経団連の山内副会長が「一種の人災」と断じたのは、こうした経緯を踏まえてのことです〉

熊本県人吉市で氾濫した球磨川

洪水被害が繰り返されてきた「人吉エリア」

〈被害が大きかった「人吉エリア」は、大昔(100万年以上前)は「湖の底」(「古人吉湖」)だったところで、現在は四方を山々に囲まれた「盆地」となっています。球磨川水系が“暴れ川”になっても不思議でないのは、地理的構造から見れば“一目瞭然”です。

 ですから、過去にも洪水被害が繰り返されてきました。とくに1965年には、「昭和40年7月洪水」「球磨川大水害」と呼ばれる戦後最大の水害が起きました。今回と同様に、梅雨後期の停滞前線による集中豪雨に見舞われ、球磨川の上流から下流まで広域が浸水しています。

 その結果、人吉市は、市街地の3分の2が浸水し、家屋の流失・損壊は1281戸、床上浸水が2751戸、床下浸水が1万戸以上という甚大な被害に見舞われました。

 この大水害が発端となり、翌66年に治水対策としてスタートしたのが「川辺ダム建設」です。

「昭和40年7月洪水」では、人吉地点は最大で毎秒7000トンという洪水に襲われました。1960年に完成した球磨川上流の市房ダムの洪水調節能力では、まったく太刀打ちできません。そこで、約10倍の洪水調節容量をもつ「川辺川ダム」が計画されたのです〉