ピアノでは驚くほどイライラしない
女流棋士も含めて、プロになる人は入門から初段になるまで一瞬だという例が多い。1つ1つ段階を踏むことなく、爆発的に成長を遂げた結果、いざ自分が入門者に教えるとなると「なぜこれが分からないのかが分からない」状態になり、苛立ってしまうことがある。ここで冷静に、それぞれの段階に降りて入門者に寄り添える人が指導の上手い人なのだろう。私はそれが苦手だと自覚しているので、長女への技術指導はほとんど夫に任せることにした。怒ってしまうのが一番良くない。
少し話が逸れるが、長女はピアノを習っている。私も幼少期にピアノを習っていたが、数年で辞めた。最近久しぶりに弾いてみたら「きらきら星」を楽譜通りに弾けた。アマチュア5級位はあるだろうか。
ピアノに関しても家では親がレッスンに付き合うのだが、こちらは驚くほどイライラしない。両手で上手く弾けない長女を見て「わかるー! 左手の小指動かないよね!」と、上手く弾けた時には「すごいね!」と心から寄り添い、共感できるのだ。
1ケ月位続けられたら凄いなぁと思っていたが、こちらの想像より将棋を楽しんでくれたらしい。気が付けば40日を超え、スタディ将棋を使わなくても駒の動きは分かるようになった。ある時には仕事から帰ってくると、長女がパソコンの前に座ってネット将棋を指していて、その可愛らしい光景に思わず笑ってしまった。
将棋でなければいけない理由はない
初めて負けを経験した時には「もう1回やるの!」と大号泣し、2局目で無事に勝ち、機嫌を取り戻した。将棋を強くなる為には、負けず嫌いは重要な要素だ。筋も覚えも悪くないし、これはもしかしたら強くなるかもしれないと思った。本格的に将棋を始めたいと言われたらどうしようか。小さい時から親と比べられるのは大変だよなぁ……なんて、親は勝手に要らぬ心配をし始めた。
6月から幼稚園が再開して、大好きなお友達とたくさん遊び、長女にとっての日常が少し戻った。そして毎日将棋を指して120日ほどを過ぎた頃、「しょうぎはそつぎょうするの」と長女が言った。その後少し続けたが、7月に入るころには自然と指さなくなった。
親が将棋を指しているからと言って、娘たちが将棋を指さなければいけない訳ではない。将棋で経験できるたくさんの良い所を私達は知っていて、それを伝えたいという気持ちもあるが、きっとそれは他のことからも学べるものだと思う。将棋でなければいけない理由はないのだ。「〇〇でなければいけない」は自分自身で選んでほしい。親はそれを応援したい。
将棋を指すのは自転車に乗るのと似ていると言われている。一度指し方を覚えれば、ブランクがあってもすぐ指すことが出来る。またどこかで、思い出したように将棋を指してくれたら嬉しい。
最近は涼しくなったので、毎日(本当に毎日)公園を走り回っている。
私たち夫婦は将棋を選んだ。娘たちは何を選んで生きていくのだろう。