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「自分からは絶対に逃げない」幾多の壁を乗り越え中日のルーキー・橋本侑樹は強くなる

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/10/09

 無情にも試合を決定づける3ランがハマスタの右翼席にたたき込まれた。4日のDeNA戦(橫浜)。5点ビハインドの8回だった。4番手・橋本侑樹投手(22)が投げたカットボールは神里にフルスイングされた。

 直後にマウンドへ歩み寄った阿波野投手コーチに交代を告げられ、橋本はうつむき加減で三塁ベンチへ下がっていった。与田監督は失意の新人左腕にすぐさま近づき、一言、二言、言葉を交わした。

 指揮官は「ボールは本当に良くなってきている。ブルペンでいい状態が、試合で出せない。ブルペンの作り方であったり、気持ちの準備であったり。自分で考えたらどうだろうか(と伝えた)。いいものが出てきているだけにもったいない」と語った。

 大きな期待がある。だからこそ要求される高いプロ意識。今季13試合で防御率7・88(10月6日現在)は、起用する首脳陣以上に本人が一番納得していない数字だろう。

 19年ドラフト2位で大商大から入団。最速152キロの直球と、キレ味抜群で決め球にもカウント球にもなるスライダー、フォーク、カットを操る。大学では全国大会も経験。4年生の秋季リーグではノーヒットノーランも達成した。入団発表ではNPB最多登板のレジェンドOB岩瀬仁紀氏の背番号「13」を背負ったことで注目も集めた。

 実は同期入団の中でも兄貴的存在の橋本。特にドラ1の石川昂とはなんだか気が合う。今年1月、18歳のリクエストに応じ、2人で「矢場とん」本店に向かった。「おいしかったな」と2人で店を出た後、石川昂は「もう一軒いきますか」と、まるで二次会へ向かう部下のように声をかけてきた。“二次会”は栄地下街のラーメン屋。大盛りを一気に平らげる後輩に「ドラフト1位の胃袋はすごい」と驚くしかなかった。

 大学生のときは佐川急便の仕分けのバイトをしながらプロを志した苦労人でもある。「A型ですから」と基本は真面目で生活は質素。空き時間はもっぱらネットフリックスでアニメや海外ドラマを見る。キャンプ後に「『鬼滅の刃』は絶対見るべき」と薦められ、私もどっぷりはまってしまった。ただ、単行本より俄然アニメ派で、まもなく公開される映画より先の結末は知らないらしい。

橋本侑樹

大垣日大で見た「天国と地獄」。橋本の努力に“鬼”が涙した

 橋本が生まれ育ったのは自然豊かな福井県の高浜町。坂を登れば山々が、坂を下れば日本海が目の前に広がった。

「テレビゲームはしたことなかった。小さい頃から体重が軽かったんで、木の蔓(つる)につかまってターザンごっことかしてました」。令和の時代ではにわかに信じがたいが、“野性児”として駆け回った。

 4人兄弟の次男が侑樹。野球を始めるきっかけになった兄と、妹、弟がいる。小学3年から野球を始め投手一筋。祖母にねだって買ってもらったナイキ社の黄色の投手用グラブは今でも大事にしている。

 高校は岐阜の強豪・大垣日大へ進学した。地元の公立高で甲子園を目指すつもりだったが、中学時代に所属した高浜ボーイズの先輩がいたこともあり、名将・阪口慶三の元で野球を学んだ。

 高校1年の夏からメンバー入りすると岐阜県大会決勝で好リリーフ&決勝打を放ち、甲子園出場の立役者になった。

 聖地では「地に足がつかなかった。人生で一番緊張した」。初戦で佐賀・有田工高に敗れたが、奇跡的にも1年生から大舞台で躍動する幸運に恵まれた。

 しかし、ここから橋本にとって地獄が始まる。「あの時、精神的に壊れていた」。もう思い出したくない日々だ。