数ある事故物件の中でも、ひときわ異彩を放っているのが「未解決事件の事故物件」です。殺人や放火によって死者が出たにもかかわらず、未だ犯人が捕まっていない――。前回は、そんな物件についてご紹介しました。
一方で、世の中には「解決済みだと思っていたら、あとから思わぬ真相が判明した」という事故物件も存在します。今回は、そうしたケースについてお話ししましょう。(全2回の2回目/前編から続く)
初めて「大島てる」に掲載した事故物件
そもそも「未解決事件の事故物件」に、知らずしらずの内に住んでいた……というのは、あまり考えにくい事態です。事件のことが大々的に報道されれば、多くの人が「あそこが犯行現場だ」と知るわけですし、事件後にその物件を借りたり買ったりする場合にも、そこが事故物件であることは原則、事前に知らされます。
もちろん、事件から時間が経ってしまうと報道も減るわけなので、気づかずにそこに住んでしまうこともあるかもしれませんが、それ以上に可能性として高いのは、「住んだ後に事件の思わぬ真相がわかる」というケースかもしれません。
そうしたパターンで印象深いのは、私が「大島てる」に最初に掲載した、“1軒目の事故物件”のことです。
火事で高校生が亡くなった家を探しに……
私が「大島てる」の運営を始めたのは平成17年(2005年)の9月からで、今年はちょうど15周年にあたるのですが、初めてサイトに掲載したのはその直前、8月30日に火事で高校生が亡くなった都内の物件でした。
当時、そのニュースを目にした私は、翌日の8月31日に、友人と2人で現地に向かいました。とはいえ、正確な住所はわからないので、おそらくこのあたりだろう、と目星をつけたエリアを探索した結果、真っ黒に焼け焦げた一軒家を発見したのです。それをさらに翌日の9月1日に、サイトへ掲載したのが「大島てる」の始まりです。