VAN HALENの名曲「Jump」が全米1位に輝いたのは1984年のこと。全世界的なヘヴィ・メタル・ブームが巻き起こっていた当時、アメリカでブームを牽引した“LAメタル”勢の頂点にはVAN HALENが君臨した。当時、このシーンでエディの影響を受けなかったギタリストは皆無だったし、それは全世界的な視野で見ても同じで、ジャパニーズ・メタルの頂点に君臨したLOUDNESSの高崎晃に代表されるように、ここ日本でもエディの影響力は絶大だった。誤解を恐れずに言えば、ロック・ギターの歴史は「エディ以前」と「エディ以降」に分けられる。エディはそれほどまでにエポックメイキングな存在だったのである。
ハードロックながら全米チャート1位連発の偉業
エディがロック・ギター史において「別格」であるのは、何よりそのポピュラリティによる。デビュー以来、すべてのアルバムでプラチナムを獲得してきたVAN HALENは、ヴォーカリストをサミー・ヘイガーに交代させた1986年の「5150」以来、1996年にサミーが脱退するまでの4枚のスタジオ・アルバムのすべてが全米チャートで1位を獲得するという偉業を成し遂げた。
これほどまでにヒット作を出し続けたハード・ロック・ギタリストは、LED ZEPPELINのジミー・ペイジくらいだ。だからこそ、エディの死は全世界的なトップニュースとなった。今回の訃報で、エディがマイケル・ジャクソンの「Beat It」でソロを弾いていたことに触れている例は少なくないが、あの曲がリリースされた当時の感覚では、マイケルが「あの“ギター・ヒーロー”エディ・ヴァン・ヘイレンを起用した」ことが凄かったのであって、マイケルに起用されたからエディが有名になったわけではないのである。
例えば、ヴァイオリンの超絶フレーズをコピーするためにスウィープ奏法による速弾きを独学で編み出した天才イングヴェイ・マルムスティーンもまたロック・ギターの革命児で(エディの影響を受けていない唯一の例外でもある)、スウェーデン人である彼は1983年にアメリカに渡った後、メタル・シーンに絶大な影響を与えたが、それはあくまでもヘヴィ・メタルの世界に「ネオ・クラシカル様式美メタル」というジャンルを定着させたという意味での影響力であって、音楽ジャンルを独力で創り上げたこと自体は驚異的ではあるにせよ、エディ・ヴァン・ヘイレンのようなポピュラリティを獲得するには至っていない。エディは一世代前のジェフ・ベックやエリック・クラプトンに匹敵する知名度を誇る。その意味でも稀有な存在なのだ。
思いっきり強引かつ唐突な喩えであることを承知しながらあえて言うと、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモアといったギタリストたちは、落語史で言うと志ん生、文楽、圓生、小さんといった「昭和の名人」だ、と僕は思っている。