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 そうすれば、ある程度自由にパンを作れる環境があり、また若い職人の指導や発掘をプロのパン職人がすることになります。中には政府や国民にとって「美味しいパン」を作る職人も出てくれば、逆に「まずいパン」をつくる職人もいる。しかし、仮にまずいパンであっても、美味しいパンも含めてプロの世界に任せて保全しておくのが学問の自由を羽ばたかせることにつながるのです。例えば今は「まずいパン」に見えても20年後に花開くことがあるかもしれないし、本当にまずいパンを作る人がいても、その無駄があってこそ学問全体の豊かさが保たれる。

撮影/石川啓次 Ⓒ文藝春秋

 パンを作ったこともない人が、自分の感覚としてのパンの「うまい」「まずい」を押し付けるとどうなるか。「俺にとってうまいパンだけ作れ」と言い、「学問の自由」を守っている保護膜を破ってしまったら、世の中にはその時みんなが考える「うまいパン」しか残らず、学問の多様性はたやすく崩壊してしまうでしょう。それは、進歩もなければ深みもない社会で、後には何も残りません。市場原理は必要ですが、市場原理に基づかない専門家による判断が幅を利かせる領域を残しておくべきだというのはそういうことです。だから、多少傷んでいたりまずかったりしても、おおらかな心で、10億円ぐらい与えて、自由にさせるのがよいと考えます。

撮影/石川啓次 Ⓒ文藝春秋

「保守の知恵」が失われつつある

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 こうした考えは、これまでの自民党の政治家が持っていた「保守の知恵」だったとも思っています。「保守の知恵」が失われつつあるのは、小選挙区制度が導入され、政権交代を経験して以降、自民党も官僚機構も変質したから。しかし、そもそも政権がこんなちっぽけな人事にまで手を突っ込むようになったのは、学術の豊かさが社会に与えるものに対してあまり希望や期待を持っていないからでしょう。スペースシャトルや自動運転技術のように時代を大きく変える技術でなくても、人間にとっては学びそのものが喜びであり、人生に豊かさを与えてくれる一般書の背後にはたくさんの研究があります。それを伝えきれていないとすれば、政治や官僚の問題を指摘するだけでなく、学術の側ももっと頑張らなくてはいけない。