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 菅首相はテレビ番組で、官僚に対して「政策に反対する者は異動」と言いました。政府の指揮命令系統に入っている一般の国家公務員に対しては、これは当たり前の話です。違法性も何もない、通常の指揮命令に対して、ただ単に自分が好まないからと、正当な理由もなしに命令を拒否すれば、これは明らかな服従義務違反。ですから、配置換えされてもおかしくない。

 しかし、日本学術会議に関して言えば、政府の中の統治機構の中にあるのではなく、その横にいて、あくまでアドバイスをする存在ですから、むしろ彼らは独立性を保って、独自の意見を持って提言を行うことがもとめられる。政府がやりたいことをやるための機関ではなくて、その人たちが独自に生み出す考えを述べてもらった方が、日本の政治のためになるし、日本国民のためになるという発想が基になって作られている組織です。

加藤陽子氏 ©文藝春秋

 ですから、確かに菅首相には「任命権」がありますが、特定の学者の業績や政治的意見に基づいて任命を拒否する能力は政治家にも官僚にもありませんし、またそうすべきでもありません。日本学術会議は、存在すること自体が対外的にも意味を持っているわけだから、政府が正しいと考える主義主張を共有する必要はない。逆にあくまで「助言」をするだけですから、彼らが言ったことを政府が聞く“必要”も必ずしもないわけです。

パンを作るのはパン屋に任せる

 しかし、菅政権はそこにあえて手を突っ込み、6人の任命を拒否しました。人事に手を付けた背景には、日本学術会議を改革したいという気持ちがあるのでしょうが、それは6人をいきなり任命から除外する理由にはならない。この6人を除外した理由は明らかにされていませんが、今のところは彼らが特定秘密保護法や平和安全法制に反対した研究者であったことが関係したようにしか見えない。そうでないのならば、個々人の資質ではなく行政機構改革的な観点からの理由(男女比、学術分野構成比など)に基づく人事であることを説明する必要があります。

撮影/石川啓次 Ⓒ文藝春秋

 なぜ個々人の資質で任命するかしないかの判断をしてはいけないのかというと、政府が学者がなんらかの政治的意見を表明したことを問題視し、そのことによって彼らに制限を加えることは、「理念としての学問の自由」を侵害する可能性が生じるからです。

「理念としての学問の自由」とは何か。これは簡単にいえば、どんな学問をするかは学者に任せるということです。つまり、パンを作るのはパン屋に任せるということですね。