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不倫をされた人が必ずと言っていいほどすること

 不倫をする上で最も問われるべき品格は、いかに人の傷を治癒できる程度のものに止めるか、だと考えられるが、その際にはこの「誰と不倫するか」が生命線となる。女同士で話していて、パートナーの浮気や元カノの話になると、必ずと言っていいほど、相手を特定し、SNSなどを見つけ出し、批評する。これは自分の傷の大きさを見極めたいからだ。

瀬戸大也 ©getty

 例えば、元カノ、本妻の知人や同業者、夫婦共通の友人などと不倫すれば、それによって生じる傷や綻びが、修復不可能になる可能性が極めて高いのは容易に想像できる。

 そのほかに、例えば過体重を気にしている女性に対してモデル体型の美女と不倫した時に起こる相手の気持ちのハレーション、子育てのために泣く泣く仕事を中断中の女性に対してバリキャリの女と不倫した時に引き出される複雑な悲しみなどを想像すれば、少なくとも絶対に不倫してはいけない相手を割り出すことはできる。

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 千原せいじの例が一般女性視聴者に比較的ゆるゆると受け入れられた理由の一つは、相手の女性に、女のコンプレックスをえぐる嫌悪感がなかったからだろう。むしろ、ドラマや小説によってできた、若くて華やかな愛人というイメージからは少し離れた、男性本人と年齢が近い女性という属性は、おそらく本妻へのダメージが、最悪レベルではないのだという無意識の想像を呼び起こす。

 そこで初めてある程度の「面白い」が喚起される。面白い、と感じるのは、単に読んでいて笑えるという問題ではなく、面白いと言って良いか否かという、視聴者の良心の問題でもあるからだ。

瀬戸の妻・優佳さんは2011年の世界水泳飛込競技の代表 ©getty

「不倫はいけない」「ばれてはいけない」と一言で断じてしまう風潮が気になるのは、人がこれだけ繰り返してきた愚かな情事に、優劣があるという意識を消してしまう点である。実際には、許される情事と許されない情事がある。妻への申し開きを想像して、外国人女性としか不倫しないという男性もいたし、水商売の女性に限定している人もいた。妻と似ている女性は絶対に選ばないという男性もいる。

 いずれにせよ、これだけはやってはいけない、という品格を持ち得るかどうかが、不倫のできる人と絶対にする資格のない人を分けるとも言える。