それは単純な法則性があるものではない。以前私の友人が恋人に浮気をされた時、その相手があまりに醜かったことで議論になったことがある。
話を聞いていた友人の一人は、こんなブス、脅威にならないからいいじゃん、と言う立場だった。ただ当人にとっては顔の美醜より、浮気相手が彼と同じ業界であったことが怒りを増大させていた。自分だけ蚊帳の外のような気分になる、自分では仕事の悩みを聞いてあげられない、と言う言い分だった。
自分が最も大切に思うパートナーが、何をされたら最も自尊心を揺さぶられるか、その知識と想像力が思いやりにつながり、同じ悪事の重みを変える。軽率な気分でした浮気で夫婦関係の解消にまで至るようなケースは、この意識が全くないことが多い。
瀬戸大也の不倫が滑稽だけどツッコミづらい理由は……
はっきり意識しているかどうかに関わらず、どんな相手を選ぶかには人としてのセンスがにじむ。瀬戸大也の不倫報道に面白みが欠けるのは、不倫相手とされるのがCAであるというクリシェが一番大きいように思う。
高い外車で安いラブホテルに入り、車をわざわざ乗り換えて娘たちのお迎えに向かったと言う記述などは、多目的トイレ不倫のような滑稽さがあるものの、その「ツッコミどころ」が、家族に与える嫌悪感をうわまわら無い限り、人は面白いとは思わない。よって当人に向けられる眼差しは、苦笑いやツッコミだけでなく、極めて冷笑的な批判に終始し、面白がって噂のタネになることもあまりなかった。
結果、五輪延期で大変な時期を迎えるアスリートの家庭に降りかかった、