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三世で、もはや「無理をしなくても大丈夫」

 現代では団塊ジュニアが会社を支えながら、さらにその子供の世代が就職をし始めている。この世代になると、社会における成功の方程式はほぼ決定し、この方程式の解き方について様々な解説本、マニュアルが完備されるようになっている。サラリーマン三世の登場である。三世になるとさらに親の敷く道にそもそも疑問を持たなくなる。これまでのように一億総中流と言われたような中間層は崩壊し、日本社会の二極化が顕著になってきている姿を見て、「親の言うとおり」にしていれば、間違いない人生が送れると考えるのだ。

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 だが、こうした階級社会の成立は、日本経済をけん引してきた会社組織の中ではあまり良い方向に働かない。会社を成長させるために猛烈に勉強してがんばろうという気持ちは薄れ、大きな組織のなかでつつがなく生きよう、無理をしなくても大丈夫といった安穏とした空気が蔓延しはじめるのだ。三世たちからみればもはや政治家なんて、学校の学級委員とほぼ同じような存在に映っているのではないか。「まあ、好きだったらやれば。自分は関係ないっし」自分たちの労働条件の改善なんて所詮できっこないし、上の人が決めればそれで仕方がない。

現状維持を強く願うがために

 同じ種族同士の傷のなめ合い、なれ合いも目に余るようになる。だから官僚達が多少忖度をして、それがマスメディアに追及されても、批判ばかりしているとか、それなら自分でやってみれば、といった「俺たち関係ない」病が蔓延するのだ。

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 歴史をふりかえってみても、二世、三世は初代の活躍ぶりに比べて地味な存在が多い。そして代が続くにしたがって、この状態を未来永劫守っていこうという発想に変化していく。階級社会の誕生だ。二世や三世は会社を大きくするような冒険はできないし、やる気もない。だが、自分たちが置かれたぬくぬくとした環境は死に物狂いで守ろうとする。政治に関しても現状がこのまま維持されていくことを強く願う。それが保たれるのであれば、多少政治上の失敗や、不正があったとしても、深く責任を追及することはしない。やりすぎると自分たちに都合の良い社会を壊してしまうことにつながることを恐れているのだ。

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 こうした風潮は、やがて社会から異質なモノは排除し、自分たちだけが理解できるもの、同じ思想の人たちとだけ仲良くしようという排除の論理が働くようになる。実は今、全世界でこうした発想を持つ人たちが急速に増えている。この風潮がエスカレートすると、社会の分断が始まり、互いに憎しみ合うようになる。日本社会は今、その分水嶺に立たされているのだ。