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戦後、就業者の半分から77%に伸びたサラリーマン人口

 国の労働力調査によれば、戦後15年が経過した1960年における国内の就業者数は約4436万人。このうち雇用者(役員を含む)と定義される何らかの組織に属して働く人の数は2370万人だった。サラリーマンは働く人の約53%にすぎず、この頃の働き手の多くはまだ農業従事者や商店主などが一定の割合を占めていた。いっぽうで地方から多くの働き手が東京や大阪、名古屋などの都市部に流入しサラリーマンになりはじめたのがこの時代の特徴だ。

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 地方の農家などから都会にやってきた働き手は猛烈サラリーマンとして日本企業の躍進に務めた。滅私奉公して会社のために尽くすのが当時の流儀。彼らの猛烈な努力は、90年にかけて日本経済が世界が瞠目する成長を遂げる大きな要因となったのだ。戦中から団塊世代と呼ばれる人たちである。彼らはいわばサラリーマン一世として活躍し、頑張れば収入も上がるシンプルな経済原則の中で生き抜いたのだ。一生懸命働く彼らは他方で自らの待遇の改善やそれらを可能にする政治にも大きな関心を寄せた。安保闘争などの学生運動から労働条件の改善を求めた春闘、労働組合は活発に行動し、社会での存在感を高めた。彼らは90年にかけて社会の一大勢力に発展する。90年における勤労者の数は4835万人。就業者数6249万人のうちの77%を占めるようになっていたのだ。

二世は完全なサラリーマン社会に

 サラリーマン一世たちの多くは農家の出身者、長男が家業を継ぎ、いわば地方から不退転の覚悟でやってきていたために、自分の土地、家を持つことに憧れた。かれらが憧れのマイホームを構えたのが大都市圏郊外だった。戦中世代の多くが、首都圏であれば世田谷区や杉並区といった郊外に家を構え、そこで育った子供たちは、戦後まもなくのように飢えることもなく高度経済成長期の波に乗ってすくすくと育った。彼らは躍進を遂げる日本企業に就職することに憧れ、良い学校を出て、大きな会社に入ることを目指すようになる。サラリーマン二世の誕生だ。親の勤める会社に親子で就職できる例は少ないが、看板こそ違っても、たとえば大企業という同じセグメントに入ることを目指したのだ。

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 彼らの多くは、親の代とは異なり「飢え」がない。社会も安定し経済も順調に成長していく中では、政治や労働組合に関心がなくなり、自分たちの幸せを追求するようになる。会社の中では猛烈企業戦士として戦ってきた団塊世代の下で、ひたすらおとなしく振舞うことで出世という果実を採りに行くことを願ったのだ。2000年になると就業者は男女雇用機会均等法などの効力も出て6446万人に膨らむが、そのうち雇用者は5356万人、就業者の約83%にもおよび、日本は完全なサラリーマン社会に変容していく。