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身体的に妊活に関われないもどかしさ

 まず行ったのは、友人のレズビアンカップルに教えてもらったシリンジ法。針のない注射器で精子を直接送り込むという方法で、病院に行かずに実践できる。

杉山文野さんの著書『元女子高生、パパになる』(文藝春秋)は11月11日発売
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 フィジカル的に妊活に関われない僕が唯一できたのが、この精子を注入する作業。とはいえ、他の男性の体液を彼女に入れることに抵抗がなかったわけではない。理解はしていたけど、今思い返しても複雑な気持ちになるほどだった……。

 シリンジ法を約1年続けた後、次のステップである体外受精へ。2回目の治療で妊娠することができた。

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 僕らはもちろん、「孫の顔が見られるとは思ってもみなかった!」と両親たちも大喜び。みんなをジジババにしてあげられてよかったとホッとする一方で、僕の中には不安もあった。

何をもって家族といえるのか

 それは生まれてくる子供が血の繋がりのない僕に懐いてくれなかったらどうしよう? ということ。

 しかし、その不安は全くの杞憂だった。娘はそれがごく当然であるかのように、僕に懐いてくれている。

この秋、2歳になる娘と

 一方で、一緒に暮らす僕や彼女と違い、月に数日しか育児に関われないゴンちゃんの顔を見ると泣いて逃げてしまう。

 僕と彼女はゴンちゃんにももっと育児に関わってほしいと思ったが、彼は彼で迷いを抱えていた。それは僕と彼女の暮らしに踏み込むことへの遠慮と、「どんな関わり方をすれば父親と言えるのかがわからない」という娘に対する自身のあり方。

 ゴンちゃんは紛れもない娘の親だし、3人がいるから娘の存在がある。親子のあり方とは何だろう? そして僕たちは、何をもって家族といえるのだろうか?