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絶えず「攻撃型」の政治を貫くのが菅首相のスタイル

 例えば、菅首相は10月17日、靖国神社の秋の例大祭で「真榊(まさかき)」を奉納しました。菅首相のこれまでの政治活動において「靖国」の問題が出てきたことはありませんから、ずいぶん意外に思えました。しかし、これは、自分は「安倍政権を継承しているんだ」という、その“証し”を示す意味があったと考えれば、十分納得のいく行動といえないでしょうか。安倍前首相は19日の午前に靖国神社に参拝しています。

安倍晋三前首相 2019年12月 Ⓒ文藝春秋

 日本学術会議の問題も「政権の端境期」に起きた出来事、つまり「安倍政治の継承」のために起きた問題であるといえます。安倍首相の在任中に、今回任命拒否された6名の学者を含む、会員の選定作業は始まっていました。突然の退陣がなければ任命を拒否するかどうかの判断も、安倍前首相が下していたことでしょう。しかし、この判断は「境目がないまま」菅政権に持ち越され、菅首相は心の準備や理論武装をしないうちに最終決裁者として、6人の任命を拒否する選択をしたのです。

10月21日、初の外遊から帰国した菅首相と真理子夫人 Ⓒ時事通信社

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 もちろんその後、菅首相には「撤退の道」を選ぶ方法もありました。しかし、絶えず「攻撃型」の政治を貫き、前に出るのが菅義偉という政治家のスタイルです。官房長官時代の記者会見を見てもわかるように、内閣に何か問題が浮上しても常に「問題ありません」「適切だ」と繰り返し、決して「それは申し訳なかった」と撤退の言葉を述べることはありませんでした。この姿勢を首相になっても貫いたのです。ただし、勢いがあるときはこういう「攻め」の姿勢は非常に有効ですが、守りに入らなければいけない時にこれがどこまで効力を発揮するかは未知数です。